ものすごく波のあった精神状態が、概ねフラットな状態を保つようになりました。もちろん、お薬が体に合っていたということもあるのでしょうけれど、今の私は、低めとはいえ、安定してます。
鬱状態を発症してからというもの、そのあまりの辛さに何もできないという日が多かったことが嘘みたいです。当時を知っている人は、私がここまで回復したなんて想像もできないと思いますよ。
家族でさえ、未だに、重症だった頃のように私に接し、私はそれに苛立ちを覚えるんですよね。心配してくれるのは嬉しいけれど、薬の飲み忘れさえしなければ、健常な精神の人と同じように(?)、生活していくことが出来ると、思っているわけです。まだ、危なっかしく見えるのかもしれませんが、私の中では、テンションは高くならないけれど、だからといって鬱の泥沼にどっぷり浸かっているわけじゃないって思いが強いんです。
もちろん、いくらフラットな精神状態を保つことが出来るようになったと言っても、昔のようにテキパキとなんでもこなせるわけじゃありません。昨日、出来たことが今日はできないなんていうのはザラにあります。
それでも、精神的にはとても楽になったことには変わりないんです。希死念慮が消えたわけじゃなく、長生きをしたいとか思わないし、健康な体が何よりも大事とも思えないけれど、そこまで心配されなくても私は私でいることが出来ます。
自分に生きている価値があるとも思えないけれど、だからといって、自らあの世に行こうと試みることもなくなったというのは、大きく改善されたと言っていいんじゃないでしょうか。余程のことがなければ、リスカもODもしなくなったし、アルコールで睡眠薬を飲むようなこともなくなりました。これって、すごいことだと思うんですよ。
今、鬱で苦しんでいる人たちはたくさんおられます。心の風邪なんていうから、すぐに治るものだと勘違いされてしまうけれど、鬱はそう簡単に治る病気じゃありません。発症するきっかけはたくさんあるし、誰でも罹患する可能性があるから、心の風邪なんです。実際には風邪じゃなくて肺炎っていうところでしょうか。
肺炎は命を奪うこともある病気ですからね。鬱を馬鹿にしてかかると、その闇の深さにさらに絶望感が増して、自らの人生に幕引きをしてしまうこともあるんです。
でもね、明けない夜はないっていうように、試行錯誤していれば、いつか夜明けはやってきます。今、自分を不用品だと思っているなら、辛いかもしれないけど、明日まで生きてみませんか。明日になったら、また明日も生きていくことを積み重ねることが大事です。
鬱を患ったことで、失うものも多いけれど、得るものが、まったくない、なんていうことはないんですから。寛解した時、人の痛みの分かる人間に成長していれば、それで善しとしましょうよ。
こんな私でも、ここまで回復することが出来たんです。メンタルクリニックのお世話になって15年。まだ、まだ、卒業はできないけれど、しっかり生きてますよ。