不敬虔なクリスチャンである私は、イースターだというのに教会へも行かず、いつもと同じように過ごしてます。決して信仰が薄くなったわけもなく、日曜日は出来るだけ教会に行きたいという希望はあるのですが、なんせ徒歩圏内に教会がない。
母教会も電車の乗らなくちゃ行かれないし、多分、この辺りで1番大きいだろうと思われる教会も電車に乗らないと辿り着けないんですよね。献金はともかく、電車賃の出費が痛いんですよ。車があるわけじゃないので、どうしても公共交通機関を利用することになるわけですが、1駅なのに結構な額を取られます。
母教会に行こうと思ったら、乗り換えまであるので、もっとお金がかかってしまいます。ほんと、何で徒歩圏内にプロテスタント教会がないんでしょうか。カトリック教会はもっとないけど、いろいろと不便を感じています。
金沢に住んでいた頃の方が、近所に教会があって、信仰を守るには適した場所でしたよ。私が洗礼を受けたのも金沢の教会でしたしね。
イースターだというのに、教会に行かれないのは、ちょっとだけ罪悪感を覚えるんですよね。心から主の復活を喜んでいるのだけれど、それを表現する場所がないっていうのは寂しいものがあります。イエス様に救われた私が、その恩も忘れて教会に行かない、自己嫌悪に陥ってしまいますね。
駅の反対側に教会があったようなのですが、今まで駅のホームに有った看板が無くなっていて、もしかしたら教会がお引越ししてしまったのかもしれません。元気のある時に1度、行ってみようと思っていたんですけどね。徒歩で30分くらいで着くと思うんですよ。
ちょっと、遠すぎるような気がしなくもないのですが、電車賃を考えるとその教会くらいしか本当にないんです。行ってみて肌に合わないようだったら、また別の教会を探すしかありません。心から一緒に主の復活を喜べる仲間がいることって大事ですよね。
教会に足が向かなくなるのは、それなりに理由があるんです。
私の場合、母教会が一時期、無牧状態になったのが嫌で、別の大きな教会に通っていたのですが、電車賃はかかるし、教会の方針が毎日、教会に来なさい、祈祷会に来なさい、聖餐式は祈祷会で行うから通常の礼拝では行いませんよっていう感じで、本当に教会の近所に住んでいないと、牧師先生の要望には応えられないタイプの教会だったんですよね。
嫌いな教会ではなかったけれど、毎日、通えるはずもなく、なんとなく足が遠のいてしまいました。もともと人付き合いが得意なわけではないので、少人数で行われる聖書研究会や祈祷会は苦手なんです。1年365日、教会に入り浸っている生活を夫が許してくれるわけもなく(夫も一応クリスチャンです)、私自身も教会に縛られるのは嫌です。
まあ、無教会主義という宗派もあることだし、それ程、悩まなくてもいいのかもしれませんね。近所に教会のない生活って、あんまり好ましいとは思えないけれど、必要な時が来たら神様が思いがけない方法で、教会に行かれるようにしてくださると信じています。
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かずのん@グレース・ハーモニーです。
精神疾患持ちのプロテスタントのクリスチャン。
このブログにはジャンルを問わず、好きなことを書いていくつもり。