東京やその近辺に住んでいると、車の必要性を感じることって普段、ほとんどないですよね。バスも電車も本数があって、待ち時間は長くても10分くらい。その10分が待てなくてイラついている私だけれど、日本には、電車やバスが2時間に1本しかないような地域もあるわけで、そんなところに住んでいたら自動車は必需品だとも思うのです。
金沢に住んでいた頃、やはり車がないと不便だったけれど、ペーパードライバーの私、怖くて運転をすることなく、徒歩と、バス、電車でしのいでいましたね。スーパーまで徒歩1時間近くかかったけれど、事故を起こすよりずっとマシ。
10人分、1週間分の食材を買って、ショッピングカートをいっぱいにして、それでも足りなくて、ぶら下げたり抱えたりしながらの帰り道、あまりの重たさに、途中何度も荷物を降ろして休み休み歩いたものです。カートに入りきらなかった食材が足にぶつかって、大きな痣を作ったこともあります。
同じことをお年寄りにしろとは言わないけれど、あまり、自分の能力を過信するのは止めた方が良いんじゃないでしょうか。
しっかりしているつもりでも、判断力や瞬発力って確実に落ちているんですよ。これは認知症がどうのという問題ではなく、年をとれば仕方のないことなんです。認知症だから車の運転は止めるべきだ、ではなく、ある程度の年齢になったら、免許書は返上するべきだと思うんですよね。
運転すればするほど、上手になるのは若い時だけで、ある程度の年齢になったら、すっぱりと運転するのは止める。これが1番だと思うんです。
さもなければ、車のほうに進化してもらって、完全自動運転の自動車を作ってもらうとか、もっと、公共の交通手段を増やすとか、高齢者の事故を防ぐ方法を考えるべき時に来ていると思うんですよね。公共交通機関は赤字になったら廃線になってしまったりもするけれど、もっと、多くの電車やバスを運行するようにすれば、不便さを感じることは減ってくるんじゃないでしょうか。
車は確かに便利です。でも、その反面、凶器にもなりうることを自覚するべきなんじゃないかと思うんですよね。そんなつもりはなくても、自分が加害者になってしまう可能性は、ドライバーなら誰でもあるんです。
高齢者から楽しみを奪うな、って言われてしまえばそれまでですが、楽しみと人命とどちらが大切なんでしょう。楽しみのために、加害者になってもかまわないということなんでしょうか。
車の運転をしなくても、問題のない社会が来ることを心から願います。暴走する車は、凶器以外の何ものでもないし、それを自覚できない高齢者が多過ぎるのではないでしょうか。性質が悪いですよ。