結婚して家庭を持って、一時期、両親を引き取って一緒に暮らしていたことがある。その当時は、まだ、子供たちも小さかったし、部屋数にも余裕があったから、6畳の和室を使ってもらって、食事は一緒に摂るし、テレビも一緒に観て寛ぐといった生活を送ってみた。
私の実の親とはいえ、全く違うサイクルでの生活が出来上がってしまっていた中での同居は、正直、しんどかったし、両親にとっても、あまり楽しいものだったとは思えないんですよね。
この同居は、夫の起業失敗で破綻して、両親とは再び別居することになったけれど、実の親であっても一緒に暮らすのは無理があるということを私に教えてくれる結果となった。今のように、月に1度、顔を出す程度が1番、上手くいくような気がする。おかしな義務感で引き取っても、お互い、幸せな生活は送れない。
特に、私は自分の両親が苦手で仕方なかったから、尚更、なのかもしれないけど、親といえど、所詮は他人なんだと思い知らされたんですよね。ずっと、同居していれば感じなかったことも、途中から同居するようになると、大きな溝を感じる。
お互いが努力しないと、険悪な関係になる。子供たちとの関係も決して良好ではなかったし、夫以上に気を使う存在だったというのが正直なところで、また、同居するかって言われたら、答えはNOとしか考えられない。
今は父も亡くなって、母1人になってしまったけど、同居ということは考える余地もない。私は自分の家庭を大事にしたいし、ここに入ってこられても、他人でしかない。それは、寂しいことかもしれないけど、生活していくリズムも考え方も何もかもが違い過ぎて、お互いが気を使い合って疲れてしまうのが目に見えてる。
実の親との同居さえ、上手くいかないんだから義母との生活なんて、恐ろしくて考えたくもない。まあ、そんな予定はないし、夫も義母とは絶縁状態になっているから何も心配することはないんだけど、三世代同居の家庭とか尊敬してしまう。
我慢と忍耐と努力の上に成り立っているのか、本当に気の合う間柄で、気を使う必要が全くないのか。少なくとも、私には無理な相談ですね。
両親との同居は、私の子供たちにとっても、あまりいい影響を与えたとは言えない。子供たちは反発し、あからさまに不満気な態度をとっていたのを覚えてる。私でさえ、両親との同居が息苦しかったのだから、子供たちはその数倍、ストレスに晒されていたんじゃないかと思う。
同居を申し出たのは、私に方からだったけど、一緒に住み始めてすぐに足並みが揃わないことに気が付きましたね。
まあ、こっちの申し出に応じたのも、生活がどうにもこうにもならなくなったからだそうで、私としても、実家を担保にして連帯保証人にしたために、全財産を失わせてしまったという負い目があったから、一緒に住むという提案をしたのであって、両親に愛着があったからじゃないっていうのは大きい。
結局、罪滅ぼしのために同居を持ちかけたところで、お互いが不幸にしかならなかったということ。今みたいに、距離を置いて、たまに会いに行くのが丁度いい状態だと思う。そうでなければ、嫌な面ばかりが目について、罪責感も薄れてしまう。
私は、自分の罪を忘れてしまうだろうし、昔の憎しみを再度、燃え上がらせてしまうかもしれない。本当に、それはお互いにとって不幸でしかない。同居すれば親孝行ということは決してないんだなって、身を持って感じましたね。まだ、自分が独身で両親を引き取るというのなら、別の側面も見えてきたかもしれないけれど、結婚して家庭があってとなると、親といえども他人でしかない。
夫が他人であることは重々承知していたけど、自分の両親まで他人だと感じるとは・・・。もしかしたら、これが精神的自立なのかもしれないと思うわけです。
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