メンタルクリニックに通い始めて、20年近く。いろいろ病院を替えてみたりしながら、今のメンタルクリニックに落ち着いて、真面目に治療にあたっているわけだけど、最近は夫が余命宣告を受けたことで、私の精神状態が不安定になっているらしく、ドクターとの会話は私のことよりも夫のことの方が多い。
私の状態は、良くもなく悪くもなく、っていうところらしいけれど、問診すらおざなりで、ドクターは夫の病状を心配してくれる。それは有り難いことなんだけれど、私の病状はどうでもいいのか?っていう気分になるのも確か。落ち込んで、鬱状態になっているんだから、もう少し話を聞いてくれてもいいのにって思う。
別のカウンセリングがついているわけじゃないから、話をしても仕方ないのかもしれないけど、原因が夫の病気にあると信じて疑わないドクターと、話をしても噛み合わないことも多くて、まあ、いいやって気にもなる。夫のことは覚悟ができているつもりなので、病状にそれ程の落ち込みは感じていない。
どちらかというと、夫に良い状態をキープしてもらうためにかかる手間で、疲労困憊しているんだよね。病院は遠いし、病院代も薬代もバカみたいに髙いし、減塩しなくちゃならないから、手抜き料理っていうわけにもいかない。ドクターには疲れた顔をしてるって言われた。
そりゃ、疲れた顔にもなるでしょうよ。体温を測ることから、血圧測定、体重測定まで、夫は何一つ自分ではやらない。私に面倒を見させておいて、文句ばかり言う。それなら、自分でやればいいじゃないのって思っても、おかしくないと思う。
言えば、喧嘩になるだろうから、私は無言を貫いているけれど、精神衛生上、決して好ましいことではないよね。こうして、私の病状は一進一退を繰り返して、いのちの電話に電話しちゃったりするんだけど、ドクターには話してない。っていうか、話せる雰囲気ではない。
総じて短い診療時間の殆どが、夫に関することを話していて、自分のことを話す暇がないっていう感じ。いつも混んでいるから、病状の重い人には時間が割けるけれど、私みたいに、ある程度、落ち着いてしまうと診療時間も短くなる。
ドクターは夫がまだ仕事をしていると言うと吃驚する。仕事をしていない夫が想像できない私とは対照的だ。夫を見ていると、本当に余命宣告された人なのかと疑いたくなる。しんどいって言いながらでも精力的に仕事をこなしているし、自分の思い通りにならないと怒鳴るところは通常運転だ。
そして、私の診療時間は、夫の話で終わってしまう。薬を処方されてお終い。これじゃ、何のために通っているのか分からないじゃないか。心の病は、目にも見えないし、血液検査で何かが分かるわけでもないからな。これが限界なのかもしれない。
私の周りには、心配事が多過ぎるんだ。心穏やかに静養する暇がない。全ての心配事をシャットアウトして、のんびりと穏やかに時間が過ぎていくということがない。まあ、そんな生活を送りたいなら入院しろっていうことになるんだろうけど、入院している間に何が起こるか分からないから、おちおち入院も出来ないんだよね。
そもそも、今の私は、入院するほどの重病ではないし。たまに、鬱の海に突っ込むくらいのもので、普段はフラットな感情しか抱かずに生きている。もしかしたら、ドクターもその辺り理解して、話題を夫に集中させているのかもしれない。夫が死んだら、私に精神にどんな変化が起きるか、ドクターも戦々恐々としているのかも。
せっかく、ここまで回復したのに、また、鬱には戻りたくはない。でも、こればっかりは、夫が死なないと分からないんだよね。まあ、でも、ドクター、夫のことじゃなく、私の心配をしてください。
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