うつ状態にある次男坊の容態があまり芳しくなくて、いろいろLINEで話している時に、Happyって何だろうって話になって、彼からの答えが、「生きていること」「お金があること」「明日のことが考えられること」だったんだ。生きているはクリアできているけれど、残りの2つは壁が高い。
コロナの影響で収入が全くない我が家では、お金の心配はつきもので、本当にお金がないって状況が続いてる。それでも、夫は出張に出なければならないし、仕事に関するお金は叩いて絞って捻出しなければならない。次男坊は責任感も強いから、自分でこの苦境を何とかしなくちゃいけないって思っている節があるから、鬱も酷くなっていくんだ。
私は、うつ病だと言われていたけど、うつ病じゃなかったわけで、今は向精神薬で落ち着いた状況を保っているけど、鬱状態の時を知っているから、次男坊の抱えている苦しみも理解できる。どうすれば、寛解に近づけるのかアドバイスはできるけど、私自身がまだ寛解したとは言えない状況で、2人で傷の舐めあいをしているだけなのかもしれない。
兄妹の中でも、1番、手がかかって、甘えん坊だった次男坊は、大人になってもあまり変わらなくて、頑張り過ぎて鬱になってしまった。長男坊が早くに家を出てしまったので、何かあった時には自分が守らなくちゃいけないって思っているんだろう。でも、そういう責任感がますます鬱を酷くする。
休めって言っても、休み方がわからない。そもそも、本当にうつ病なのかもわからない。私と同じで、鬱症状に出る別の心の病の可能性だって捨てきれないんだ。
鬱状態は、もう2度と経験したくないけど、見てるのも辛い。何もしてあげられない。好きなこともできなくなって、不眠になっているから、ますます、鬱が悪化する。食事も1日1回しか摂らない。ほとんど時間、ベッドに横たわっているだけだ。
こんな状況なのに、次男坊の通院している心療内科では、あまり薬を出してくれないらしい。自然治癒でも求めているのかっていうくらい、飲む薬の量は少ないし、眠れないって言っているのに、眠剤も出してもらえないらしい。いっそ、病院を変われば?って提案しても、新しい病院を探すのも面倒だという。
そりゃそうだ。そんな気力が残っているわけがない。すべてのことが面倒くさくて、生きていることに罪悪感を覚える。仕事ができる状態じゃないのに、働いてないことで自分を責める。今は、仕事よりも治すことを考えなさいって言っても、どうしても働いていない自分を責めてしまうらしい。
もっと頑張れたんじゃないかとか、もっと我慢できたんじゃないかとか。その気持ち、よく分かるんだけど、母親としては、生きていてくれればそれでいい。もう、十分に頑張ったから鬱になったんだし、頑張り過ぎた分、今はしっかり休養を取って欲しい。
本当に、Happyとは何なんだろう。私にとってのHappyは何なのか。次男坊のHappyとあまり変わらない気がする。私の精神状態は、フラットのまま落ち着いてはいるけど、自分がHappyだとは感じていない。Happyだった記憶もない。
次男坊が、死にたがっているから、一緒に死のうかって言ったら全力で拒否された。っていうことは、まだ、生きていく気力は残っているって考えてもいいんだよね。その気力が枯渇しないように、私は見守ることしかできないけど、話を聞くだけでも救いに繋がることもあるからね。
そうじゃなかったら、命の電話なんてあるわけがない。話を聞いてくれるだけでも、今日1日生きてみようって思えるじゃん。明日になったら、また、今日1日だけ生きてみようって考えられるじゃん。でも、誰も話を聞いてくれなかったら、自己完結して終わってしまう。
だから、次男坊の愚痴は、まだ、生きていたいってサインなんだと思っているんだ。聞くことしかできないし、共感してあげられないこともあるけれど、否定しないで根気強く話を聞くことを心がけてる。私が酷かった時、誰も話を聞いてくれなかったけど、もし、誰か話を聞いてくれていたら、もう少し楽だったのかな。
結局、話を聞いてくれたのは、教会の牧師補佐みたいな仕事をしていた方と、精神科のドクターだけだったけど、おまけに、診断が間違っていて、鬱に苦しむ期間が果てしなく長かったけど、それも糧になっているのかもしれない。もし、簡単に回復していたら、今の次男坊の苦しみを甘えって切り捨てていなかったとは言い切れない。
心の病は目に見えないけど、次男坊はストレスでアトピーが酷くなっているから、その様子で判断ができる。今、絶不調だってこと。私のHappyは子供たちが全員、Happyであることなのかもしれない。気質が遺伝するとしたら、私の気質が子供たちの精神を蝕んでしまったんだろうから、申し訳なく思ってる。何もしてあげられないから、せめて、話だけでも真剣に聞くよ。凹まなくていいよ。
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