私の思い込みかもしれないけど、健啖家は長生きをする。命あるもの、食べられなくなったら死ぬのだ。歳をとれば、次第に食が細くなって、静かに命の炎も消える。よく食べて、よく眠る人は長生きをするというイメージは私から離れない。
夫が最近、食べられなくなってきている。1人前が食べきれない。食事量が減っている。それを見ていると、この人、もうすぐ死ぬんだって思うのだ。毎日、しんどい、怠いとしか言わないし、そのくせ、酒も煙草もやめようとはしない。自分で自分の命を縮めているようにも見える。
心臓の具合は、横ばいからちょっと悪いに傾いているけれど、急に止まってしまうほど悪くなっているわけではない。でも、余命宣告された年限は生きられないんじゃないかと思うのだ。だって、健康な生活をおくることができての余命だもん。ドクターも禁煙していると思っているし、禁煙してでの余命宣告だ。
再入院の原因の1番は喫煙だ。塩分過多がそれに続く。入院を繰り返せば、それだけ心臓の調子が落ちる。そして最後には止まってしまう。入院しないような生活を送ることが何よりの薬で、夫のように1日に40本も煙草を吸っているようでは命を大事にしているとは言えない。
まあ、死ぬんだったらちゃんと遺言書を残してからにして欲しいが。我が家は複雑なので、遺産争いとかも勃発しないとも限らない。もちろん、借金も相続することになるので、遺産放棄するものもいるかもしれないが、残していくものはそれ以上に価値がある。
預貯金はなくても、特許料とかは遺産の対象になるらしいからね。
夫は、余命宣告された年限は何をしても生きられるものだと思っている節がある。だから、心臓に負担がかかるってわかっていても、酒も煙草もやめないのだ。それとも意志が弱いのか。せめて電子タバコに替えてもらいたいのだが、味が好みじゃないと言って紙巻煙草しか吸わない。
自分が、自力ではちょっとの距離も歩けないってわかっているのに、何の対策も打たない。移動は娘が運転する車だし、遠距離の出張はさすがに、駅や空港までしか車を使うことはないけれど、歩かないからどんどん筋力が落ちている。自分では自覚がないみたいだけれど、下半身の痩せ方は異常だと思える。
そして、食べない。食べたくないと言って困らせる。人間、食べられなくなったら死ぬんだって理解できていないのかもしれない。
人間だけじゃない。命あるもの食べられなくなったら死ぬのだ。樹木も養分を吸い取れなくなったら枯れる。夫は緩慢に死に向かっているのだ。もともと、余命宣告されてから覚悟はしているけれど、こうも早い段階で、食べられなくなるとは思っていなかった。美食家で、美味しいものには目がなく、美味しい店を何軒も知っている人だ。それが、今はまるで別人のように食べない。
気分が悪いとか、しんどい理由は心臓以外にあるのではないかとも思う。ただ、人の気を引きたいだけかもしれないし、それこそ弱くなったお酒が原因かもしれない。昔は一升酒飲んでも平気だったけれど、今はアルコール度数の少ないものでも、飲めばすぐに寝てしまう。
それなら、禁酒すればいいものをそれもできない。どこが美味しいのか私にはさっぱり分からないが、酒好きにはたまらない味なのだろう。禁酒、禁煙して、もう少し罪滅ぼししてから死んでくれと思う。引退したいとか、甘ったれたこと言っているんじゃねーよって本当は言ってやりたいのだ。てめえのおかげで私たちがどんだけ苦労したかわかってんのかって。
でも、無理矢理、食べさせることもできないので、夫の分は少なめに作る。それでも食べきれなくなったら、いよいよ最期の時が近づいていると考えても差し支えないだろう。それまでに墓をどうにかしないとならん。夫と同じ墓に入りたいとはこれっぽっちも思っていないので、共同墓地のようなところに納めてもいいのだが、一応、夫もクリスチャンなので、宗教、宗派問いませんっていうところを探す必要がある。
死ぬ前にやることって結構あるのだ。寝たきりになってからでは遅すぎる。それ以上に突然死されることが怖い。死なれてしまったら、この先、どうすればいいのかだって分からないからね。話せるうちに会社のこれからの方針も決めていかなくちゃならないし、残された私たちがどうやって生活するかも決めなければならない。
死んでいくものはいい。大変なのは残されが方なのだ。
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