メンタルクリニックに行くと、ドクターに別人に見えるほど、良くなったねって言われる。自分でも自覚している。抗うつ剤を使っていた時には、感情の振れ幅が大きくて、落ち込んで自傷行為に走り、家を飛び出してオーバードーズを繰り返し、常に希死念慮に襲われていたし、主婦業もできる状態ではなかった。
今は、嫌になりながらでも家事はできるし、外出もできる。ここまで来るのに20年かかった。まあ、それは、誰も私がうつ病だと信じて疑わなかったからなんだけど、おそらく、ドクターがやぶれかぶれで処方したジプレキサが私の鬱状態を吹き飛ばしてくれなかったら、今も日常生活をまともに送ることもできなかっただろうと思う。
うつ病が原因で鬱状態になっているわけではないのに、抗うつ剤を処方しても意味がない。使える薬がなくなって、それでも鬱状態が良くならず、ドクターも匙を投げかけたらしい。でも、ジプレキサが効いたことでうつ病ではないって判明してからは、回復するのは早かった。
ジプレキサは太るから、飲みたくないって言って、同じ系統で太らない薬に変更はしてもらったけど、私の処方箋の中に抗うつ剤は入っていない。だってうつ病じゃなかったから。うつ病だけが鬱状態を引き起こすわけじゃないって、思い知ったね。
本当に、10年間のうち7年くらいは酷い状態だったんだ。家族にも迷惑かけたし、自分のことを大事にするっていうこともなかった。まあ、これは今も似たようなものだけど、積極的に消えたいとは思わなくなったし、自傷行為もしなくなった。腕も足も切った跡が残っているけど、これは病気との戦いの結果だと思ってる。
よく、生きてるよね。自分でも感心する。誰もうつ病を疑わなかった。最初に行ったメンクリでも、そこで良くならずに他のメンクリに移っても、誰も私が中から重症程度の鬱と診断して、それに沿った治療を続けた。そして、治らなくて、他のメンクリを探す。この繰り返し。
今のメンクリは通い出してから結構経つ。かれこれ10年以上は通っているんじゃないだろうか。ここでも、うつ病の治療しかしてなかったけど、ここでうつ病じゃないって診断がついたんだ。はっきりした病名は聞かされていないけど、飲んでいる薬を調べたら、統失の薬ばかりで、ああ、なるほどってなってる。別に何の精神疾患でもここまで回復できたなら関係ないんだけどね。
少なくとも、今の私は、昔の私じゃない。まったくの別人だ。感情は薬でコントロールされているとはいえ、元気だからね。昼間に布団をかぶって丸まってるなんいうこともないし、家事もこなせるし、できないのはお金が絡むことだけになった。外に働きに出たいという意欲も生まれた。これは年齢的に難しいと却下されたけど、笑えるし、テレビの音がうるさいとか感じなくなって、気持ちは底上げされている気がする。
もし、ドクターが苦し紛れにジプレキサを出さなかったら、今も苦しんでいただろうと思う。減薬なんてできなかっただろうし、そもそも生きていたかどうかも怪しい。ほんと、お薬大事だわ。
よく考えてみれば、あれだけ暴れるうつ病患者もいないだろうって思う。気力のすべてを失って、暴れるなんてできるはずがない。私は家出を繰り返す傾向にあったし、家人を翻弄することも多かった。大抵の時間は泣いているか、眠ってるかだったような気がする。よく思い出せないんだけど。
でも、子供の頃から苦しめられてきた希死念慮が霧散してくれたのには驚いた。感情は抑えられ、喜怒哀楽もほとんどないほど、感情はフラットだし、以前より書くものは面白くなくなったけど、それはそれ。今の私を、結構、気に入っているんだ。
減薬したいと自分から思うようになったし、でも、急な減薬は危険だからできないだろうし、私の周辺がトラブル、アクシデントだらけだから、ドクターも減薬したくてもできないというジレンマに襲われている。私だってご機嫌でいられるのは、もしかしたらお薬のおかげかもしれないわけで、夜は眠剤ないと眠れないっていうのがあるから、完璧とは言えないんだろうけど、かつての私を知っている人は、同一人物とは思えないんじゃないかと思う。
そう、私は当時とは全くの別人だ。良くなりすぎて、鬱で苦しんでいる人の気持ちも理解できなくなりつつあるのが怖い点ではあるが、本当に長い道のりだった。夜中に裸足で家を飛び出して、犀川の河川敷で持っていた薬を全部飲んで、そのまま入水自殺しようとしたこともあったな。ふと、探している子供たちのことを思い出して、思い留まったけど、もし、子供たちのことを思い出さなかったら、今頃、こうしてブログを書いている私はいない。
生きるか死ぬかなんて紙一重なんだな。私は子供たちに助けられた。あの子たちの存在が私を生きる道に戻してくれた。その子供たちを与えてくださった神様に感謝。
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