3泊4日で草津温泉に行って、昨日帰ってきたんだけど、帰ってきた途端に求められるものは主婦業で、でも、私は主婦には向いていないようで、やらなくちゃいけない家事雑事にうんざりしている。草津温泉に行っている時には、日常から離れて、それなりに楽しかったんだけど、帰ってきて、またやることが山になっているのかと思うとげんなりした。
泉質が合わず、肌がボロボロになってしまった夫と娘のために、帰宅して早々に風呂掃除をして、買ってきたお土産もわける暇もなく、片付け。貯まっていた郵便物や宅配便の荷物も開けて、できる限りのことはしたつもりだけど、まだ、散らかっている。月半ばも過ぎたから来月のメニューも考えなくてはならないし、家族の協力を仰ぎたいところだが、みんな勝手なことを言ってあまり手伝いは期待できない。
背負い込み過ぎなのかもしれないけど、そう言うなら、協力してくれてもいいんじゃないかと思う。やることはたくさんあるのに、誰かが手伝ってくれるわけじゃないから、今回の草津温泉行きで出た洗濯物なんて、まだ、洗える状況にもなかった。留守中にお留守番していた息子が洗濯しておいてくれるなんていうことはないから、出かける直前になって出た洗濯物でいっぱいで、旅行で出た洗濯物は明日、洗濯機を回す。
何故、洗濯機の使い方を私しか知らないんだ。これって、私が体調を崩したりしたら日常生活が麻痺するパターンじゃん。料理は娘ができるとしても、好き勝手に出かけられない。私はインドア派ではあるが、時には出かけたい時もあるんだが。
今回の草津温泉は、日本温泉学会の学会が開かれるので、夫が私と娘を連れて行ったという形。学会には関係のない私たちは遊びに出て、夫だけ学会に出席してという形。夫も少しだけ観光できたから、それで満足したみたいだけれど、学会も仕事の一部だから、そうそう、のんびり旅気分というわけにはいかなかったようだ。
来年は、私と娘も懇親会とかでなくちゃダメって言われたけれど、夫に来年があるかどうかは分からない。余命宣告が出されてから、もう何年経った?もちろん、これは健康な人にも言えることだけど、そんな長期的な予定を立てるのは怖い。
夫が具合が悪いというだけで、もう、目を覚ますことはないかもしれないと思う。突発性拡張型心筋症の死因の50%が突然死。5年生存率50%。憎まれっ子世に憚るで、夫は余命宣告を超えて生きるかもしれないけど、私はびくびくと怯えてしまう。
正直、夫のことは愛していないし、いると迷惑と思うことも多いけど、できれば、夫の愚痴をこぼしながら生活していく方がいい。これは情なのかもしれないけど、死なれるのは、やっぱり嫌だ。逝くなら私の方が先に逝きたい。そうすれば、少しは私の有難みがわかるんじゃないかと思ったりする。
まあ、大した事はしていないないが、家事や雑用って思っている以上にあるものだからね。その上で、仕事まで手伝わされるんだから、給料よこせって言いたくもなる。
本当に、1年後のことなんて分からない。夫が健在であるかどうかなんてわからない。天災に襲われているかもしれないし、事故の遭っているかもしれないし、順風満帆であるという保証はどこにもないのだ。生きている以上、こうしたことへの不安はいつも付き纏う。
もちろん、私が臆病なだけということもあるんだろう。人間、永遠に生きているわけではないので、いつかは必ず死がくるのだ。自分が死ぬことは怖くないけれど、夫や子供たちに先に逝かれるのは絶対に嫌だ。決して仲良し家族ではない。まとまって行動することはないし、バラバラだという印象はある。それでも家族なんだ。
12月に入ればすぐに、今度は温泉旅行に出る。もう、家族で出かけることも難しくなるだろうからって、家を出た長男坊と三男坊は一緒には行かないが、この家に残った4人で福井まで出かけてくる予定。本当に、これが最後の家族旅行になるかもしれないわけで、夫の我儘に付き合ってあげないと後悔するかもしれないと思っている。
死なれてから、ああすれば良かった、こうすれば良かったって思うのは、ウサギさんだけで十分だ。だから、今は夫の望みを優先させているつもりだ。夫が快適に暮らせるように、って思っても、モラハラ、フキハラが治るわけじゃないから、ムカついて死ねとか思ったりするんだけど、現実になったら私はどうしたらいいのか分からない。
コロナの影響もあって仕事の方も遅れているし、全ての知識が夫の頭の中にある以上、夫が死んだら会社は潰れる。経済的に夫に頼り過ぎているっていうのはある。だから、尚更、夫に死なれるのが怖いのかもしれない。来年、一緒に温泉学会に行かれるか、再来年はどうか、人生100年時代かもしれないが、我が家ではそんなことは関係ないから、明日が来ないかもしれないという現実に怯えているだけだ。
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