最近、調子が悪い。身体的にではなく、メンタルの部分が落ちている。これを拾い上げるのは至難の業だ。なにせ、理由が分からない。何か理由があるのであれば、その理由、原因を取り除けばいいだけなんだが、それらしきものが見当たらない。
家族は、寒いからだとか、雪が降ったりしたからだとか、お天気のせいにしているけれど、それが原因とも思えない。とにかく、薬を飲んでんでも治まるのは一瞬だ。ソワソワして落ち着かない。叫びながら走り回りたい気分だ。相変わらず、誰かが悪口を言っているような気がする。そんなことはあり得ないと分かっているのに。でも、そういった幻聴を振り払うのはなかなか大変だ。引きずられそうになる。
家族には、幻聴の話はしていない。無駄に心配をかけても仕方ない。薬が追加になったことは伝えたけれど、それが幻聴のせいだとは言わなかった。
だけど、このメンタルの落ち方は、幻聴が原因ではないだろう。私はまだ、幻聴を打ち消すことができる。幻聴が真実だと信じ込むようなことはないし、それでメンタルが落ちることもないはずだ。もしかしたら、薬に耐性がついてしまって、落ちているのかもしれない。でも、それも考え難い。この間、薬を飲み忘れた時に、今と同じようなソワソワ感、イライラ、落ち着きのなさ、焦燥感に駆られたけど、薬を飲んだら治まったから。だから、薬に耐性が付いたわけではないと思いたい。
あくまでも希望的観測に過ぎないかもしれないけれど、耐性はついたりしていないんだ。もし、耐性がついていたら、次に処方されるのは、もっと強い薬だろう。副作用が肥満とか、絶対に嫌だ。
1度、メンタルが落ちてしまうと、浮上するのが大変だ。鬱状態とも言えないかもしれないけど、このイライラ、ソワソワして心臓がバクバクする感覚。この世に絶望してしまう感覚。すべてが耐えれるようなものではない。自分の心が脆いと思ったことはないけれど、精神疾患を患ってしまった。頑張り過ぎて、ぽっきり折れてしまった。私、本当に頑張ってきたんだ。
これ以上、何を頑張ればいいのか?って自問自答するくらい頑張ってきて、心が壊れてしまった。精神科に通院歴20年。それでも寛解を迎えることができない。以前より大分良くはなったところで一進一退。簡単に寛解というわけにはいかないらしい。
心の病が目に見えるのであれば、私は多分、起き上がっているのが精一杯の病人であることが分かるだろう。調子がいい時ばかりではないってことなのかもしれない。メンタルが落ちているのがデフォルトで、今までが調子が良すぎたとか?
喜怒哀楽の感情は抑えられているけれど、フラットな感情ではいられない。矛盾しているけれど、言葉にするのが大変だけれど、落ちているとしか言いようがない。楽しいとか嬉しいとか悲しいとか苦しいとかではないんだ。もう背中の辺りぞわぞわして、ソワソワして不安に駆られ、落ち着きがなくなり、鼓動が早くなる。自分ではコントロールできない。生きていることが辛くなる。
決して、いい状態とは言えないだろう。このブログを書いている間も、落ち込んだ辛さの中にある。そんなに頑張って書く必要なんてないとは思うけれど、これは自分に課したルーチンワークで、私はそのルーチンワークを乱されるのが大嫌いなんだ。
もう、臨機応変に対応できないところからして、心を病んでいるのが分かる。別に自閉症ってわけではないので、そこまでこだわりが強いわけではないけど、乱されることは避けたい。私に必要なのは、多分、刺激のない退屈で平凡な毎日なのだ。私が求めているのは、正にそれなのだ。でも、誰もそれを分かってはくれない。
外からの刺激はない方がいいのだ。この病気のためには。ゆっくり流れる時間の中で、ぼーっと過ごすのが1番の薬なんだろう。でも、それは入院でもしない限り手に入らないもので、入院なんてしたくないから、何とか自分で浮上できないかと足掻いてみる。
落ち着かない。悪いことしか頭に浮かばない。明るい未来なんて見えない。ただ、もう十分に生きたから、これでお終いにして欲しいという願望が頭を持ち上げる。こいつをどうやったら退治できるのか、私には分からない。とにかく、元気を出さなければという焦りがある。今のままでいいからとは誰も言ってはくれない。
やりことは山積しているのに、手につかない。何をしても浮上できない。落ち着かない。意味のない不安が押し寄せてくるので、息苦しさも感じる。何故、私は生きているんだ?生きていても意味なんてないと思うんだが。私がいなくなっても、お日様が西から登るなんていうことはないし、いつもと同じ日常が待っているだけだろう。落ち込んでいる私のことなんて、誰も思い出さなくていい。
だいたい、この落ち込みの原因さえ分からないんだから。
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