いつものように、朝の家事が終わって、パソコンを起動させたらインターネットに繋がらない。トラブルシューティングでは、何の問題もなしと出るし、それならシステム障害か?ってスマホから確認したけど、どこにも障害情報は出ていない。再起動とシャットダウンを繰り返し行ってもダメ。もう、これは壊れたかなって本気で思った。
最後の手段として、ルーターとWi-Fiのリセットっていうのがあったので、とりあえずWi-Fiルーターのコンセントを根元からぶち抜いて、しばらく放置しておいたらインターネット回線に繋がるようになって一安心。
でも、貴重な午前中を無駄にしてしまったという思いは拭い去れない。ほんと、パソコンに依存した生活を送っているんだなあって再確認した。パソコンがなければ、ブログの更新もできないし、アンケート会員になっているサイトにもアクセスできない。Twitterとかはスマホでできるけど、基本的にはパソコンを使っているので、やっぱりないと不自由。こんな便利な代物、昭和の時代にはなかったっていうのに、すっかり頭から足の先まで漬かっているって思った。
まあ、繋がらなかったのが私のパソコンで良かったといえば良かった。夫のパソコンだったら、仕事に支障が出る。私がパソコンを使うのは、特に仕事っていうわけでもないし(かつてはパソコンを使って仕事してたけど)、遊びみたいなものだからね。
でも、インターネットに繋がらない状態がこれだけの不安を生むとは思ってもみなかった。もう、ネットのない時代には戻れない。
パソコンを使いこなしているわけじゃないけれど、アルバイトをしていた時とか、使い方も分からないパソコンをいじくり倒して、何とか自分で理解できるようにしたのは事実。あの時は、もう40代だったけれど、今より、やっぱり若かったんだなって思う。今の私は分からないとそのまま放置してしまうし、何が何でも覚えようとかなくなりかけている。
これが老化の始まりなのかもしれない。もっと好奇心いっぱいで過ごさないと、最後はボケ老人になってしまうのかもしれない。分からないじゃなくて、理解しようとする気持ちが大事なのかも。できるできないは別にして、何でも人に頼らずやってみること、これが大切でいつまでも若々しくいられる秘訣なのかもしれない。
パソコンだけの話じゃなく、その他もろもろ、いじくり倒して理解できたように、何でもチャレンジすることが大事なんだろう。もう、歳だから、なんて言い訳をしていては、絶対にダメだ。だからといって、今からチャレンジしてみたいものはないんだけどね。
人に頼るのは簡単だけど、それじゃ絶対に自分の知識にはならないから。自分で失敗を重ねて理解したものは血肉となって活きるものだ。
考えてみれば、誰も教えてくれる人がいなかったから、大抵のことは自分で調べたり、アドバイスを求めたりして、自分で解決してきたんじゃないのか。なんで、今になってそれができないのか。おそらく、加齢もあって面倒くさくなっているだけなんだろう。でも、それじゃダメなんだと思う。
自分で工夫すること。自分で考えてやってみること。これって凄く大事なんだろう。歳を重ねて尚、若々しくいられるのは、自分の頭で考えて行動しているからなんだろうと思う。そういう人たちをお手本にして、私も頑張んなくちゃいけないって改めて思った。
パソコンとかの精密機械は三男坊の得意分野だったので、彼が北海道に行ってしまうまで頼り過ぎていたんだろうと思う。このパソコンを設定したのも彼だし、私は何もできないでいて、パパっと設定してしまったんだ。
やっぱり、頼り過ぎは良くないと、心から反省する。今は、これが分からないって言っても、その度に北海道から帰ってくることはできないわけだし、自分がやらなくちゃ誰もやってくれないんだ。甘えるのはやめだ。自分でできるようにならなければ。
そりゃ、できないことの方が多いのは分かっている。今、私に車を運転しろって言われても、無理だもん。断る。まず、車の動かし方以前に椅子の調整すらやり方が分からない。ミラーの調整もだ。事故の元にしかならないから、無謀な挑戦はしないけれど、自分のパソコンやスマホくらいは自分で使いこなせるようになるよう頑張らなくちゃいけない。でないと、子供たちが困る。
分からないっていう前に、何でもやってみよう。それで、できなかったら、その時に考えればいい。大したことにはならないだろうし、いつまでも、甘えていてはいけないんだ。
でも、パソコン、壊れていなくて本当に良かった。
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