最近、夫がやたらと自分のことが好きかと訊いてくる。私の答えは決まって「嫌い」。でも、夫は本気に受け取ってはいないみたいだ。私は本気で嫌っているのに、もう、とっくの昔に愛情なんて枯渇してしまったことにも気が付かない。つくづく哀れだと思う。今更、何をしようと、何を言おうと、手遅れだということに、いい加減、気が付かないのか。
今日は子供の日で、ゴールデンウィークも終わり。子供たちが小さい頃、自分はゴールデンウィークに何をしていたか思い出すがいい。いつも、前妻さんのところに行っているか、別の女性とダイビング旅行に行っていたこと私が知らないとでも思っているのか。本当におめでたい。責める気もないのは、とっくに諦めてしまったから。男を見る目がなかった自分が悪い。
もう、今から再構築するのは無理な話だろう。かといって、離婚するのも面倒くさい。子供たちは成人しているので、親権の取り合いにはならないし、書類上の手続きが面倒くさいだけなんだけど、さて、どうしたものか。
娘は離婚するならついてくるって言ってくれてる。次男坊はどうするだろう。一応、社長さんなので夫の元に残ることになるだろうか。っていうか、私と娘がいなくなった時点で、家の中は完全に回らなくなるから、仕事にも支障が出るだろうし、廃業するしかなくなるんじゃなかろうか。
何で、私が夫の元を離れるのか、その理由も分からないだろう。余命宣告通りなら、あと2年ほど我慢すればいいだけだが、憎まれっ子世に憚るとも言うし、今の調子なら余命宣告された年月よりも長く生きてしまいそうだ。それは喜ばしいことなんだろうけど複雑な気分にしかならない。
私に大好きだと言っても、もう何も響かないのだ。何を今更言っているのか。私が必要としていた時には私を放っておいたくせに、何を言っているのか。寝言は寝て言えとしか思わない。私たちだって、周囲から見たら、仲の良い夫婦に見えるだろう。夫の病院には必ず付き添って行くし、買い物にも付き合うし、出張の送迎にも同行するし。
でも、それは表面上の問題であって、本質は別にある。夫も胸に手を当てて、自分のしてきた悪行の数々を思い出してみるがいい。酔っぱらってて覚えていないって言うけれど、酒を理由にすれば赦されるというものじゃないだろう。
私や子供たちとした約束は簡単に反故にして、別の予定を入れてしまうことが続いたら、誰も期待しなくなって当然だ。子供たちをがっかりさせたくなくて、レジャーの予定は当日まで内緒にしていたくらいだ。夫の口から出る約束は嘘ばかりで、あそこにも連れていった、ここにも連れていったというけれど、私にはまるで記憶がない。
どうせ、別の人と出かけたんでしょ、ってスルーしている。
それは抜きにしても、好きでいられる要素がない。気に入らなければ怒鳴り散らす。すぐにキレる。そんな人を何十年も愛していられるほど私は強くない。この不機嫌な夫に一生付き合うのかと思ったらゾッとしたのは、長男坊が10歳にもならない頃で、それから20年以上も良く我慢したって自分を褒めてあげたい。
喧嘩にもならないのは、私がまともに相手をする気がないからだということにも気が付かない。決して夫のやっていることや言っていることを肯定しているわけではない。どうして、気が付かないのか不思議でたまらない。男は察する力が低いのか。
一緒に暮らしているのは、惰性と経済力がないからであって、夫が好きだからじゃない。私は何度もサインを出している。このままでは本気で嫌いになるから、少しは考えてくれって。そのサインを敢えて無視しておいて、嫌いって言葉を受け入れられないでいるなんて、私のこと舐め切っているんだろう。
自分は一家の経済を1人で担っていて偉いんだとでも思っているのか。偉いぼくちゃんなんだから、好かれて当然とでも思っているのか。
とにかく、嫌いって言われるのは何故か、もう1度考えてみた方がいい。自分が死ぬときにその方が後悔がないだろう。死ぬ瞬間に思い出して、後悔の中死んでいくのは私ならお断りだ。ちゃんと悔い改めてから死にたい。
夫も余命宣告を受けたら変わるかと思ったけれど、全然、変わらない。過去を反省することもないし、相変わらずのフキハラだし、自分がしてきたことを思い出そうともしない。もし、少しでも思い出すことができたら、嫌われて当然だと思えるだろうに。
で、反省してキレなくなったり、怒鳴らなくなったりしたところで、もう手遅れだろうけど。
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