明日は私の誕生日。60歳になる。還暦だ。気持ち的には、まだまだ、20代なのに、実年齢はどんどん増えていく。私の予定では還暦までには死んでいたはずなのに、何故か体だけは無駄に丈夫らしく、2度ほど病気で死にかけたけど、見事に復活してなんとなく生きているってところだ。
まあ、これまでにいろんな体験をしてきて、それでも懲りずに生きているわけで生命力の強さを感じずにはいられない。おそらく、天災にでも見舞われない限り、無事に明日の誕生日を迎えることはできそうだ。
ああ、でも還暦かあって思ってしまう。もう、誕生日が嬉しい年齢ではなくて、それでも娘が誕生日だからってアップルパイを焼いてくれるそうだ。誕生日だからといって、家事をしなくてもいいってことにはならなくて、晩御飯だけは自分で自分の好きなものを作るって宣言してあるから、明日の晩御飯はサンドイッチだ。
できれば、誰かに作ってもらいたいものだが、誰も手間のかかるサンドイッチなんて作ってはくれないし、何なら、自分で作った方が美味しくできるし、多分、明日は忙しくなる。朝は夫の付き添いで病院に行かなくちゃいけないし、何で、付き添いが必要なのか本当に謎なんだけど、これで午前中は潰れてしまうだろうし、午後から頑張って用意しないと、晩御飯の時間までにサンドイッチは完成しない。
意外と手間がかかるのだ。鶏を茹でたり、卵を茹でたり、むしったり、潰したり。それをパンに挟んで、切り分ける。考えたら憂鬱になってきた。ピザのデリバリーにすれば良かった。
昔は、還暦になれば、相当な長生きで、赤いちゃんちゃんことか着て、赤い帽子を被ったりしたみたいだけど、今の還暦はまだまだ現役世代で、引退とかしていられないのが現状だ。私は専業主婦だけど、60歳になったからといって家事が消えてなくなるわけじゃない。家族の中で、家事スキルのある人も見当たらないので仕方ないと思うし、体はまだ動くので怠けるわけにもいかないだろう。
つまりだ、還暦を迎えたからといって、何ら変わらないということだ。もちろん、若い頃に着ていた服は似合わなくなっているし、代謝も落ちているから食べたらすぐに太るし、痩せ難くなったし、若い子と同じようには動けない部分はある。でも、本質は何も変わらない。
心は乙女のままだけど、顔は重力に負けて目じり、口元が下がってしまっているのは気に入らないが、不老不死になりたいわけではないので、クールな60代を生きていきたいと思う。実際、クールな60代はたくさん存在しているわけで、私も目を見張るような60代を見たことがあるんだ。
まだ、金沢にいた頃、カルチャーセンターの受付でバイトしていた時、フラメンコを習いに来ていた60代女性が、えらくかっこ良かったのだ。髪はロングの巻き髪。車は左ハンドル。背筋もピンと伸びて、ハイヒール姿が様になってて、全然60代って感じじゃなかった。年齢欄を見て、吃驚した覚えがある。私もそんな60代でありたい。
好きなもの、好きなことを年齢を理由に諦めたくはない。還暦になろうと、チチカカの服は着たいし、髪もチリチリのソバージュでいい。ダイエットも続けるし、Queenも聴く。プリクロも好きなままだし、できれば英会話とかも習いたい。フラダンスも習いたいけど、それは、もう少しポッコリお腹が引っ込んだらだろう。今の体型ではムームーを着るのが躊躇われる。
本当は犬も飼いたいけど、ここペット不可物件だから、流石にそれは諦めるしかない。いつまでも好奇心旺盛でいたいし、なんにでもチャレンジできる心の若さを保ちたい。還暦なんて人生の通過点に過ぎないのだ。昔だったら年金をもらえる歳ではあるが、年金だけで暮らせた時代は過去のこと。さて、どうやって稼ぐか考えなくちゃいけない。
老後の資金があるわけじゃないし、子供たちも自分たちの生活があるから安易に養ってくれとも言えないし、日本の福祉は脆弱で、全然、頼りにならないから、ここは頭を悩ますところではある。ただ、長生きするつもりはないんだ。人生100年とかマジで無理。何の罰ゲームだよって思う。死ぬまでは元気でいたいとは思うけれど、それと長生きは結びつかない。
そろそろ、終活して断捨離も始めようか。
歳を取るのは怖いことじゃないって、私の姿を見て子供たちが思ってくれたらそれが1番。何と言っても、これからの人生において、今日が1番若い日なんだから。
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