私は毎朝、ケアハウスにいる母に電話をする。母は耳が遠くて電話になかなか出なかったりもする。そんな時は何度もかけ直すし、それでも出ない時にはケアハウスのスッタフの方にお願いして、様子を見に行ってもらったりもする。
でも、本当は母に電話なんてしたくないのだ。時間も取られるし、第一に私は母のことをこれっぽっちも心配していない。毎朝、電話するようになったのだって、認知症を発症してわけの分からないことを言い出した母を持て余した妹からの希望による。これで電話することも断ったら、妹が何をしでかすか分からないから、仕方なく電話しているだけだ。
話すこともない。元気かどうかを母が訊ねてくるから、それに大丈夫だよって答えるだけだ。大丈夫じゃない時も大丈夫って返事をする。自分や家族の不調を母に言ったところでどうしようもない。心配をかけるだけだし、母には何を言っても無駄だと思っているから、どんな時にでも元気なふりをする。
毎朝、電話をかけることに何の意味があるのか分からない。もう2度と母に電話をしないって言いだしていた妹も、相変わらず電話しているらしいし、毎週のようにケアハウスに行って面倒をみているようだ。私は何もしていない。母に会いたくもないし、電話も苦痛だ。でも、電話をしなくなったら、妹にLINEか電話で責めたてられるだろう。妹にとっては母が1番だから。
自分にとっての1番が、私にとっての1番とは限らないって分かっていない。本当は、もう勝手にやって欲しいのだ。何のために電話をしているのか分からない。安否確認なら妹が電話していて、それだけでいいはず。それを私に電話するように強要するのはおかしくないか?
私が妹のように、母のことが心配で心配で仕方ないとか、そういう事情があるのなら電話する意味もあるだろう。でも、母が入院した時、完治することよりも急変を望んだのが私だ。介護になっても私は介護するつもりはないし、それでも、多分、妹は私に介護するように言ってくるんだろう。それなら、この世界から母を消してしまう方が楽だって思ってしまった。
冷たいと自分でも思う。だけど、これが本音なのだ。私はもう、母とも妹とも関りを持ちたくない。絶縁でいい。まあ、そうはいかないことが辛いところではあるけれど。
電話する意味がないのに、電話をしなくちゃいけない。話すことなんて何もない。こちらの状況を話すつもりがないので、母が一方的に喋って、電話を切るパターンが多い。こちらの状況など話せるわけがない。ペットを飼っていたことも、車がある生活をしていることも内緒なのだ。自分たちの生活を話すつもりはないのだが、妹に夫が余命宣告を受けたことだけは言ってあるから、妹経由で母も知っているだろうとは思う。覚えていないかもしれないが。
電話をかけることによって、母の認知症が改善することもないだろう。自分がものすごく、無駄なことをしているような気がする。朝の忙しい時間に何で電話をかけなくちゃいけないのか。もともとは、薬を飲んだかどうかの確認のためだった。妹が匙を投げたので、代わりに私に電話して確認しろって言われたのが始まりだった。
でも、今は薬はケアハウスのスタッフさんが管理してくれていて、飲み忘れるということはなくなったし、電話する理由がなくなっている。
それでも、電話して欲しいと妹に言われて、電話しているのが現実で、そこには哀れみも慈しみもなく義務だけが発生しているのだ。匙を投げたはずの妹も毎朝、毎晩電話しているらしい。彼女は心配で仕方ないから、私も同じように心配していると思っているのだろう。
私が母を恨んでいることを知っていて、それでも、愛が勝つとでも思っているのだろうか。無駄なことをしているとしか思わないし、ゴールデンウィーク中も1度も会いに行かなかったことだけでも、私の母に対する気持ちは分かったんじゃないかと思うのだが、そういった感情には疎いのかもしれない。
電話は苦痛だ。ほんとに辛い。かけないと責められるし、相手するにも怠いから、仕方なくかけているけれど、心の病は電話をかけ始めた頃から落ちてきてしまっていて、私にとっては悪影響しかない。多分、妹には理解できないのだ。自分が私の立場だったら、母に電話したいと思うか、なんて考えたこともないのだろう。
自分たちの生活だけでいっぱいいっぱいなのだ。成人しているとはいえ、一緒に暮らしていれば子供たちにも手がかかるし、夫にいたっては、その数倍も手がかかる。自分の時間も欲しいし、家業の手伝いもある。母に電話している時間が惜しいくらいには忙しいのだ。電話する時間があるのなら、その時間にしたいこともある。
いや、マジで縁を切りたい。親戚付き合いは面倒臭いし、私は子供たちがいれば十分なのだ。何故、それを分かってもらえないんだろうか。
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