音楽はクラシックしか認めないという風潮のある家で、私がロックが大好きになったのは、Queenに出会ったから。従姉に勧められて聞いたボヘミアンラプソディが、それまでの私の生活を一変させた。当時から精神的におかしかった私は、ロックに救われたといってもいい。とにかく1番はQueenだけど、いろんなロックバンドの曲を漁るように聞いた。
レッド・チェッペリン、ローリングストーンズ、エアロスミス、キッスその他もろもろ。常に当時のFENを流していて、ビリージョエルやブロンディに感激し、音楽にパワーをもらってきた。教会にも通ってはいたけれど、何を相談してもイエス様が、イエス様がという答えに救いを見い出せず、気持ちは苦しいままだったから、ロックとの出会いでどれだけ救われたか。
夜中にヘッドフォンをして大音量でロックを聞く。部屋は真っ暗にして膝を抱えてひたすらロックを聞く。お気に入りは当然Queenで、親には嫌な顔をされたけれど、そんなの関係ないとばかりに、毎晩、毎晩、アルバムを聞いてから眠りについた。
ロックを聞いていたら不良になるって?確かに法律に反するようなことはしてきたけど、世間体だけでいえば優等生だった。一生懸命、いい子のふりを続けるのは辛かったけど、そんな気持ちもロックが癒してくれたんだ。
ボヘミアンラプソディを教えてくれた従姉には感謝している。もしも、教えてくれなかったら、Queenを知らなかったら、今日という日まで生きてこられたかどうかも分からない。それだけ、心の拠り所になっていたんだ。
今、私はロックから離れてしまっているけど、Queenからは離れていない。離れることができない。毎日のように聞いている。そして、あの当時と同じようにパワーをもらっているんだ。流石に大音量で流すこともできなくなったし、夜中に1人膝を抱えて聞くこともできなくなったけれど、彼らの音楽は私を癒してくれる。
どの曲も駄作だなんて思わない。それでも、やっぱり1番好きなのは、ボヘミアンラプソディだ。この曲が私に与えた影響は大きい。この曲を知らなかったら、私はQueenを知ることがなかっただろうと思うし、ロックを知ることもなかっただろうと思う。そういう意味では私の中での重要度は高いのだ。もちろん、他の曲も甲乙つけがたいが、ボヘミアンラプソディだけは別格扱いになる。
生きていることが当時から辛かったし、死ぬことばかり考えていた私にとってQueenは生きる希望になっていた。殴られても、怒鳴り散らされても、家を追い出されても、Queenの曲が1曲でもあれば、明日からも生きていこうって気になれたんだ。
だから、もし、Queenを知らなかったら、希死念慮に負けてこの世界から退場していたかもしれないって思う。気が付かなかったけど、当時から精神を病んでいたんだろう。本当に生きていることが辛かった。存在していることが辛くて、辛くて、でも、家族に相談なんてできるはずもなく、教会に行っても、イエス様がいるから大丈夫なのよって、それって私の辛さを根本的に解決する言葉になってない。
今なら、イエス様がついているから大丈夫って分かるけど、当時の私には分からなかった。イエス様を信じても、辛さは軽減されることはなかったし、希死念慮も消えなかった。教会に行かずに精神科に行くべきだったのかもしれないが、自分が精神を病んでいるなんて疑ったこともなかったから、自分ではどうすることもできなくなるまで放置してしまった。
Queenがロックが唯一の救いだった。英語だから歌詞の意味なんて分からない。辞書と睨めっこして和訳することもあった。何が歌われているか知らなくても、あの声、あの音、全てが私の壊れかけていた精神を支えてくれた。
萩尾望都の書いた作品にアメリカンパイっていうものがあるんだけど、その中で、神様に音楽、何が魂を救えるかなんて分からないっていうようなセリフがあって、すごく納得したんだ。うろ覚えだけど、人によって救いの基準も変わるんだろう。
私はQueenに救われたけど、全ての人がQueenに救われるなんて思ってはいない。ただ、本当に出会えてよかった。ロックを聞いてビートに元気づけられて、実家では異端児扱いされたけど、そんなことはどうでも良かった。音楽の持つパワーって凄い。
フレディが死んで、ジョンが引退して、もうQueenとは呼べないのに、ブライアンとロジャーは頑張ってる。私はあの4人が揃ったQueenに救われたんだ。だから、これ以上活動を続けて欲しいとも思っていない。どんなにアダムが声を張り上げても、だから何?ってなってしまう。あれはQueenとは呼べない別ものだという気がしてしまう。
もしかしたら、ボヘミアンラプソディに出会えたのも神様のご配慮だったのかもしれない。教義についてこれない私を見越して、救いを与えてくれたのかも。何はともあれ、感謝しかない。
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