旧統一教会問題で政府があたふたしているけど、政治家の中にだって、本気でその教えを信じている人がいるかもしれない。霊感商法は確かに詐欺だと思うし、お布施、この場合は献金?は強要されていいものではないと思うのは、自分がまっとうな教会で洗礼を受けたクリスチャンだから言えることであって、もしかしたら、心が弱っていることに付け込まれて、カルト教団に入信していなかったとは言い切れない。
たとえ、相手がカルト教団であったとしても、日本には信教の自由というものがあるから、完全否定することはできないはずだ。テロ認定されているオウム真理教とかは、もはや宗教とはいえないから横に置いておいておくとしても、旧統一教会だけを排除しようという動きには違和感を覚える。公人としてでも、私人としてでも信教の自由は守られるべきで、安倍元総理が殺害されたからといって、統一教会だけを攻撃するのはどうかと思うのだ。
霊感商法をやっている宗教は他にもあるだろうし、高額なお布施や献金を要求してくる宗教だってあるはずだ。それらすべてを取り締まるのではなく、旧統一教会だけをやり玉に挙げるのはおかしくはないか?やるなら、そういった団体すべてを取り締まらなければ、救われないと思う。
でも、日本の場合は信教の自由があるから、そう簡単に取り締まることはできない。信じて幸せな人もいるわけで、難しいところだ。宗教団体と政治を切り離してしまうと、政党として成り立たないところも出てくるし、政治団体に宗教団体からの寄付があってもおかしくはないと思う。
安倍元総理が凶弾に倒れた原因が旧統一教会にあったとしても、信仰している人は少なからずいるはずで、そういう人たちからしてみれば、自分の信じている宗教が不当に貶められていると感じてもおかしくはないだろう。
そういった人たちは霊感商法だって信じているわけで、こちらがいくら詐欺だと叫んでも、聞く耳を持たないだろうと思う。自分で目を覚ますしかないのだ。自分が信じている宗教が実は詐欺集団で、お金に汚いって。献金すれば救われるわけじゃないって気が付かないと、本当に際限なくお金を突っ込んでいくだろう。もし、そういったカルト教団から解放させたいのなら、宗教法人の資格をはく奪するしかないのではないか。
まあ、はく奪したところで、信仰心が急になくなるわけじゃないし、アレフみたいなのができるだけなんだろうけど、目を覚ますきっかけにはなるかもしれない。
壺を買ったからといって幸せになるわけでもないし、ハンコを買ったからといって不幸が訪れないわけじゃない。自分の信仰心が足りないからだと、ますますお金を寄付するようになって、家庭崩壊しても、のめり込んでいくのは何故なんだろう。その人にとって宗教が救いになっているからではないのか。日本には多くの新興宗教があって、その宗教にのめり込んでいく人は必ずいるのだ。
それに、お金を要求してくるのはカルト教団に限ったことではないよね。
普通のお寺さんだって、卒塔婆作れ、位牌に書く戒名はお値段次第だ、やれ、何回忌だから法要してお布施よこせって言うし、キリスト教だって十一献金が推奨されてる。強要ではないにしても、お金は要求されるんだ。
お坊さんも、牧師も神父も食べていかなくちゃならないから、お布施や献金は大事だけど、お寺によったら要求してくる金額がえぐいところもあるじゃん。それでも、カルト教団とは呼ばれたりしないのは、何故なのか。いったい、何が違うのか。
例えば、ここで私が突然、宗教法人を立ち上げたら、カルト認定されるんだろうか。その宗教の持つ年月で判断されるのか。それとも、3大宗教以外はすべて新興宗教として一括りにされて、その中から危ない宗教団体だけがカルトだと呼ばれるようになるのか。
とある新興宗教に誘われて、断り切れず、しばらく通っていたこともあったんだけど、特にお金の要求もなかったし(正式な会員じゃなかったからかもしれないが)、その教えは私にとってはくだらないものではあったけど、誘ってくれた人は有難がって、多額のお布施をしていたようだ。お布施することで徳を積むってやつだ。
いろいろあって、その人は家族にやめさせられたんだけど、それはお金絡みだったみたいで、いくらつぎ込んだのよって大騒ぎになっていた。結局、最後はお金なんだなって感じで後味は悪かったのを覚えている。
家庭を崩壊させるくらいお金をつぎ込ませる宗教団体なんて山ほどあるだろう。旧統一教会だけの問題じゃない。信教の自由を守って欲しいと思う一方、詐欺宗教は滅んでしまえとも思う。宗教は人生を豊かにするものでなくてはいけないと思うのだが、その豊かさは決して金銭面だけではなく、心の問題だと思っている。
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