心の病は目に見えない。だから、甘えに見える部分も大きいとは思う。でも、1番辛いのは患者本人とそれを支える人達なのだ。1人暮らしをしていれば、うつ病で何もできないことで、食事が出前になることも多くなるのは分かり切ったことではないのか。
夫は三男坊はカスだと言う。病気なのに治す気がないと言う。まさか、私もあなたのことが嫌いだから帰ってこないのよ、っていうわけにもいかずもやもやした気持ちを抱えているわけだが、精神疾患の辛さはなった人でなければ分からないだろう。
確かに、三男坊は仕事もせず、仕送りで暮らしている。就職活動が甘かったことは認めよう。でも、病気になったのは、おそらく、この家にいた頃のストレスが一気に爆発してしまったからだと思うのだ。いつも、夫と私の間に立ってくれた緩衝材の役目から解放されて、それまで緊張していた心が一気に解放されたことが原因なのではないか。
治す気があったら帰ってくるっていうのは夫の言い分。でも三男坊は、夫が大嫌い。嫌い過ぎて、遠くに逃げ出したわけで、帰ってくるはずがない。治す気があるとかないとかそういう問題ではないのだ。夫と会う方が病状が悪化するのではないかと思うのだがどうだろう。
何故、子供たちが精神疾患を患ってしまったのか、夫には考えつかないらしい。いろんな重荷を背負わせ過ぎたんだということに気が付いていない。心を病むほど、追い詰めてしまったのは夫だろう。キレて大声で恫喝して暴れる。それを止めるのがどれだけ大変だか。私に被害を及ぼさないように、いつも緩衝材になってくれていたのは子供たちなのだ。
金銭的なことで言えば、三男坊が帰ってきてくれた方が楽にはなる。私の手間が増えるだけで、夫にとっては仕送りしなくてもいい分、楽になるのだ。帰ってこないから治す気がないっていうのは、暴論だろう。こんな家、私だって出ていきたいと思うもの。
それに、夫は心の病の辛さが分からない。生きてていいのかという思い。生きていることへの罪悪感。貧困妄想。底なし沼のような落ち込み。すべてが真っ暗で、希望の光も見えない。心の風邪とかすぐに治るような言い方去れているけれど、実際には寛解までには長い時間がかかる。寛解しても再燃する可能性も高く、いつでも自分の機嫌を取らなくちゃいけないのが現実だ。
もちろん、精神疾患があっても社会に出て働いている人たちは大勢いる。だけど、三男坊は、働くのはまだ無理だとドクターに言われているらしい。夫がもっと穏やかな人であれば、子供たちも私も、精神疾患に悩まされることはなかったのだ。
自分の何が悪かったのか。それは夫も考えているらしい。でも、本人は自分がフキハラして、キレて暴れて、傷つけてきたことを自覚していないから、三男坊が何故発病したのかに思い当たることはないのだ。好きで北海道に行って、何で、好きな土地に行ってうつ病になんてなるんだ?っていう認識しかない。
三男坊はカスなんかじゃない。うつ病で辛いのに頑張って生きているだけで偉いのだ。生活保護でももらって大人しく暮らせばいいって夫は軽く言うけれど、そう簡単にいくものなのか?
分かっていることはある。夫は自分が働けなくなった時のことを考えている。精神疾患のある子供たちが、この先、就職できるとは思えない。だから、自分がいなくなった後、困らないようにと三男坊を社長にして子会社を立ち上げたのだ。
三男坊が働かなくても食べていくのに困らないように。
自分が死んだ後、私たちが路頭に迷うことがないように、準備をしていることは分かっている。それを三男坊が理解しているかどうかは分からないが、そういうことだ。ただ、悲しいかな、夫は精神疾患に対する知識がまるでない。自分がなったことがないから、理解するのは難しいらしい。
怒鳴られれば委縮するだろうっていうことも分かっていないくらいだから、ある意味、幸せな人なんだろう。でも、接し方より何より、想像してみて欲しいと思うのだ。私の症状の酷い時を見てきたのだから、三男坊が自炊できないのが当たり前だとは思わないのか。節約していないように見えるのか。それで帰ってきてここで療養しろって言うのか。
夫がいたんじゃ、心が休まることはないって気が付いて欲しい。いつ爆発するか分からないんだから、常に気を張っていなければならない。良くなるものも良くならない。それに、前回、三男坊が帰省した時には、北海道にいることを了承していたのは夫自身だ。それを仕送りがどうのっていうのは間違っているだろう。
夫に精神疾患になれって言ったって無理な話だ。自分がなって初めて辛さが分かるかもしれないが、今度は自分が1番不幸な顔をして、うるさいに違いない。
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