私は、同じ話を繰り返してしまう。主に母との関係だ。心理学者さんによると、同じ話を繰り返ししてしまうのは、まだ、傷が癒えていないからなんだそう。だとしたら、私の心の傷は何十年も塞がらず血が噴き出しているってことなんじゃないのか。
私は大人になって、もう母の愛には期待しなくなっても、それでも母の期待には添おうとしてしまう。まだ、愛されたいという気持ちが残っているのかもしれない。あんな親でも母親であることに違いはないわけで、愛されたいと思っても不思議ではないだろう。
でも、母は私が1番母を必要としていた時には、私を引っ叩くことで自分の鬱憤を晴らしていたんだ。そこに愛はない。それでいて、今更、私に会いたいとか愛しているとか言われても嘘っぽく感じてしまうのは仕方ないことだろう。親戚のおばさんによく不良とかにならなかったねって言われた時、いい子にしていても愛されなかったのに、不良になったりしたらもっと愛されないって思った自分が悲しかったことを覚えている。
母に愛されたかった。誰も私を愛してくれなかった。祖母は可愛がってくれたけど、それは将来1人取り残される独身の叔母の面倒をみさせるという魂胆があったからで、純粋な愛情ではなかった。自分の本当の親が私を迎えに来てくれるかもしれないと、高校生になっても思っていたくらいだ。そんなことはあり得ないって分かっているのに、無条件の愛情を注いでくれる人を待ち望んだ。
おそらく、私の心の病はその頃には発症している。死について考えない日はなく、どうやって死ぬのがいいか、いろいろと考えた。自分が自分でいることが我慢できなかった。
私には両親に愛された記憶が一切ない。父親は無関心。母親は妹ばかり可愛がっていて、私を呼ぶのは叩く時だけ。何かどうでもいいことでも忘れたりすると、誠意がないから忘れるんだって叩かれた。今、認知症になって忘れていく母に向かって、同じことを言って叩いてやりたいと思う。都合よく記憶の改竄をして、叩いたことなんてないと言い張る母は、自分が私にしてきたことなんて思い出すことも反省することもないのだろう。
私が、何ですべてをぶち壊して復讐に走ったのか、全然、理解していないだろうし、それが復讐だったってことにも気が付いていないだろう。脳は簡単に記憶を改竄してしまう。おそらく母は私を置いて、妹だけを連れて離婚しようとしていたことも忘れている。
2人も連れていかれない。母はそう言った。私は捨てられたわけだ。両親は結局、離婚することはなかったけど、私の傷が癒えることはなかった。愛して欲しいと熱望していた母にあっさり捨てられたんだから。
自分が母親になって、離婚を考えた時、誰かを置いていくなんて考えもしなかった。4人の子供をどうしたら、不自由なく生活させてやれるかって考えた。月々70万稼げたら、大学まで行かせられるって計算して、70万稼ぐために必死になって、結局、稼げなくて、子供たちは大人になってしまったけれど、母のように捨てるなんてことは、全く頭に浮かばなかった。
母は小学校の教諭をしていたから、2人連れても離婚できたはずなのだ。それなのに、妹だけを連れていくって。ふざけるんじゃない。
母に愛されたくて頑張ったけど、結局、愛してはもらえなかった。必要な時が過ぎてしまえば、親の愛情なんて期待もしなくなる。でも、傷は残るんだ。癒えない傷だ。今、母を責めたところで、何を言っているのか理解もできないだろう。虐待していたという記憶は改竄されている上に、自分の都合のいいことしか耳に入らない。
認知症で、私と妹の区別もつかないし、この間なんて、私はお姉ちゃんの方って言っても、今日は来られないって?とか、頓珍漢な返答しか返ってこなかった。名前を言っても分からないみたいだったし、傷を癒す方法は多分、一生、見つからない。
もし、傷を癒す方法があるとしたら、母のことを記憶から完全に抹殺してしまう以外ないだろう。母なんて私には存在していなかった。母って誰のことっていうくらいまで抹殺しなければ、決して癒されない。
母が認知症ではなく、記憶の改竄もされず、謝ってくれたなら少しはマシになっていたかもしれない。でも、現実はそんな期待には応えてくれない。認知症になる前から、記憶は改竄されていて、叩いたことなんて1度もないって言いだしていたからね。反省もしないわけだ。
反省も、悔い改めもしないでクリスチャンとか笑ってしまう。私の傷を癒す方法はないのか。子供にとって母親は特別な存在なんだって、どれだけ虐待されても愛されたいと思ってしまうし、その願望が強いほど恨みも深くなる。大きくなったら殺してやるって殴られながら、ずっと思っていた。
復讐は後味が悪い。そして、復讐しても傷は癒えない。この血塗れの心のままじゃ寛解も期待できない。
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