今朝、夫がまた、転んだ。尻もちついただけで済んだけど、骨と皮しかないような足で体を支えるのは無理がある。本人は眩暈がしてふらついたって言っているけれど、立ち上がることもできないで、私1人ではどうしようもなかったところに、騒動を聞きつけた娘が応援に来てくれた。介護は娘の方が得意。伊達にボランティアを経験してきていないと思う瞬間。
夫はよく転ぶ。外では杖をついているけれど、家の中も掴まりながらじゃないと移動ができない。ベッドから立ち上がるのも一苦労。そりゃそうだ。あのか細い足では体重を支え切れない。食べないからどんどん痩せていく。糖尿病のためにはいいことなのかもしれないけど、ある程度、体重がないとしんどいと思う。これも心臓から来る不調なのだろうか。
薬が替わって、血圧が下がったためにふらつきはよく起こすようにはなった。ドクターもそれを心配はしているけれど、肝心の心臓をできるだけ長く持たせるためには、薬を元に戻すわけにはいかない。下手な延命はする気はないが、まだ、死なれたら困る。遺言書も、会社をどうするかも決まってない状態で逝かれたら、残された私たちが難儀する。
助からないことは分かっているけれど、余命宣告通りに死は訪れないだろうって心のどこかで思っている。薬の向上もあり、5年後生存率は50%だったものが70~80%まで上がっているのだ。これで禁煙してくれたら、もっと長生きできるんじゃないかと楽観的に思ってしまう。でも、これだけふらついたり、眩暈を起こしたりしているのを見ると、もうダメなのかもしれないとも思うのだ。
もう、足が上がらない。歩かないから筋肉が落ちている。これがかつて関西の有名校でアメリカンフットボールのレギュラーだった人かっていうくらいの衰えようだ。歳も私より5歳上だから、まだ年寄りというには早過ぎる気がするが、まあ、シニアには違いない。でも、最近のシニアは元気だから、夫の衰え方は異常に思える。
とにかく食べない。私の半分以下しか食べていない。食べれば気分が悪いと言って寝てしまう。あれだけの食事量では、痩せても当然だろう。お酒も弱くなった。あれだけお酒が好きで、血管の中をビールが流れてるなんて言われていた人が、滅多に飲まない。
酒癖の悪い夫のために、苦労させられたし、ほんと、泣かされてきたし、この世から酒なんて消えてしまえって思ったこともあったけれど、今は飲んだら眠ってしまう。それも弱い缶チューハイ1本で。これも病気のせいなんだろうか。夫は最近、テレビドラマででもお馴染みになってきた、突発性拡張型心筋症で、助かる道は心臓移植しかないのだ。心臓移植は断って、薬でバランスを取っている状態。これも延命になるんだろうか。
薬はしっかり飲んでいるし、動かないのは心臓のせいではない気もする。痩せていくのは、家族への当てつけか。食べられなくなったら死ぬのだ。生きるものすべて、食べられなくなったら死んでいくのだ。
もしかしたら、夫は自分の死から目を背けているのかもしれない。誰も自分の死期なんて分からない。余命宣告をはるかに超えて、80、90になるまで、生きる人もいる。今までどう生きてきたか、ちゃんと振り返ることって大事なことだと思う。私だって一瞬先に死を迎えるかもしれない。心筋梗塞、くも膜下出血、突然死する可能性は0じゃない。
最近、過去をよく振り返る。自分がやってきたことを思い起こす。記憶がない部分もあるんだけれど、謝らなくちゃいけない人がいることは覚えている。探してはいるけれど、もう、名前の漢字が思い出せない。彼女には大きな迷惑をかけたし、本当に悪いことをしたのに、薄情にも名前も顔も思い出せない。
夫は忘れてしまっているんだろう。自分も関りがあることなのに。結局、私たちがしてきたことは、形を変え、ブーメランになって返ってきているだけなのかもしれない。自業自得だ。
自分の幸せが誰かを踏みつけて得たものだとしたら、それは真の幸せといえるだろうか。多かれ少なかれ、自分の生活を守るために誰かを犠牲にしているのかもしれないが、ここまで明確ではないだろう。私は彼女に会って、謝りたいのだ。怖いけれど向き合わなくちゃいけない。夫も一緒に頭を下げるべき相手だ。自分は逃げて私だけに責任を押しつけていいという話ではない。
夫は転ぶ。その度に、過去を忘れているような気がする。自分が犯してきた罪と向き合うことなく死んでいくつもりなんだろうか。夫を見ていると、病気を言い訳に現実逃避しているような気がしてならないのだ。まあ、転ぶんだけど。あの足では転んでも当然だろうけど。食べられないのと心臓に関係があるのか、私には分からない。分かりたいとも思わない。分かったところで何かが変化するわけでもない。
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