昨夜、三男坊とみんなでビデオ通話したんだけど、三男坊の顔を見たら涙が出てきて止まらなくなった。我儘いっぱいで、心配ばかりかけて、まあ、早い話がろくでなしなんだけど、それでも、私にとっては三男坊は大事な息子で、私の希望の星なんだ。それを見ていた娘が一言「親ってめんどくさ、私、絶対に親にはなれんわ」だって。
まあ、私も子供嫌いだったけど、長男坊が生まれて、あまりにも可愛くて、こんなに可愛いなら後2~3人はいてもいいなって思っちゃって、気が付けば4人の子供を産んでいて、ほんと将来のことなんて分からないものだ。
娘からしてみたら、何であんな手間のかかる兄貴のために泣けるのか疑問だったんだろうけど、こればかりは自分が親になってみないと理解できないと思うし、今のところ親になるどころかカレシを作る気さえ0の娘には、多分、永遠の謎なんだろうと思う。まあ、子供のために走り回って、大人になっても心配して、本当に親になるって面倒くさいことかもしれない。
それでも、私は子供を産んで良かったと思う。お金がかかるからって産むのを諦める人も多いけど、産んでしまえば何とかなる。うちはお金なんて本当になくて、子供に好きな習い事もさせてやれなかったけど、みんなグレることなく成人したし、母子仲は悪くないと思っている。子供たちが私のことを好きかどうかはどうでもいい。私は子供たちが大好きだから、それでいいじゃん。
困った時にだけ頼ってくるっていうのもあるけど、お母さんなら何とかしてくれるって思われるのも悪くないものだ。それだけ頼りにされているってことだからね。
私は、自分がいい母親だったとは思っていないし、母子というよりも友達感覚でいるけれど、それはそれでありだろうと思う。面倒くさいのは、今に始まったことではないし、親が子を思って泣くのが面倒くさいと言われても困る。娘が大学を卒業した時も、こっそり泣いたのは娘には内緒にしておこう。
まだ、幼稚園、保育園に通っていた頃は、一生懸命、舞台に立つ子供の姿に泣いたことも内緒だ。みんな、大きくなったんだなって、ちゃんとできるんだなって思ったら涙が止まらなかったんだ。
子供たちが小さかった頃、いろいろあった。それこそ、親子心中をしようかって真剣に悩むこともあったくらいだ。娘に死にたくないって泣かれて我に返ったけど、そのくらい大変だったんだ。いろいろ、問題も起こしてくれたし、1人でよくやったって自分を褒めてあげたいくらい。手のかかる子ほどかわいいって言うけど、それは本当かもしれない。
子供に優劣つけるわけじゃないけど、みんな平等に愛しているけどね。自力で上の子可愛くない症候群を克服できたのは、長男坊が早くに家を出たからかもしれない。ああすれば良かった、こうすれば良かったって後悔ばかりだ。私みたいなものであっても母親として認めてくれている子供たちには感謝しかない。
でも、できれば子供たちが小さかった頃に戻って、やり直したいって思うこともあるんだ。もっといっぱい抱きしめておけば良かったとか、もっと大好きってしておけば良かったとか、もうちょっと、躾も緩やかにしておくべきだったかなとか、夫の連れ子ちゃんたちが来た時に、子供たちの不安感をもっと払拭してあげることができたんじゃないかとか。
私が心を病んでしまって、何もできなかった頃、子供たちが私の代わりにいろいろやってくれたっけ。今でいうヤングケアラーってやつ?子供たちにとってはかなりの負担になっていたんじゃないかと思うんだけど、不平も言わずにやってくれたことに感謝。迷惑ばかりかけてきたけど、それでも大好きって言ってくれることに感謝。
親になることが面倒くさいって娘は言うけど、親になれるならなっておいてもいいんじゃないかと思う。多分、娘も面倒くさい親になるだろう。親になってみなくちゃ分からないこともあるから。子供を持たない人たちを否定する気はないし、ダメだとも思わないし、不妊治療をするくらいだったら、恵まれない子供を引き取って育てた方がいいと思うし、要は人それぞれってことなんだけど、私的には、もっと子供を産んでも良かったと思っている。
それだけ可愛い。お腹にいる時は、大して何も思わないんだけど、生まれ落ちた瞬間に、宝物になる。その子のこと何も知らないのに、愛しくて愛しくて仕方ないようになるんだ。もしかしたら、これが母性本能なのか。
あの、出産の大変さを一瞬で吹き飛ばす、赤ちゃんの力って凄いと思う。それを4回も味わえて、私は幸せだったし、ラッキーだったんだろうと思う。可愛くて、可愛くて、アラサーの息子たちだってハグして大好きってしたいくらいだ。多分、これは私が死ぬ時まで、或いは認知症になって子供の存在を忘れてしまうまで続くんだろう。
親とは面倒くさいかもしれないけど、それもいいものだよ。
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