今、第2類になっているはずの新型コロナウィルス。これが春にも5類になるらしい。5類になったらマスクの着用義務もなくなるし、もちろん行動制限もないし、コロナ前と変わらない生活が待っているような気がする。でも、新型コロナウィルスがいなくなったわけではない。
つまり、5類になって自己負担になったら、病院に行くお金のない人はそのまま命を落とす可能性が高くなるってことだ。それを当たり前のことだと言って許容する人に多さに驚愕する。弱肉強食とでも言いたいのか。高齢者や持病のある人はコロナに感染したら死んで当たり前だとでもいうのか。自分さえ無事ならそれでいい。そんな冷酷さを感じるのは私だけなんだろうか。
私も喘息があるし、重症化するかもしれない。でも、私以上にヤバいのは夫だ。持病がある夫はコロナに感染したらお終いだろうと思う。だから、家族は感染しないように一生懸命になっているのに、世間では、持病のあるもの、高齢者は死んで当然という。
それが、もし、自分の大切な人が当てはまるとしても同じことが言えるのだろうか。死んだら戻ってはこないのだ。苦しんで死なせるのが辛いことだと分かっているのか。5類になったら、誰でも間違いなく感染リスクは上がるだろうし、マスクをしていること自体が反感を買うかもしれない。手指の消毒とか時代遅れと笑われるかもしれない。
それでも、私は今の生活を続けるつもりだ。マスクをして手指の消毒をして、できる限り人混みを避ける。夫にうつしたくないからね。死んで当然なんて思えないからね。
確かに、夫はろくでなしかもしれないが、だからといって死んでいい理由にはならない。心臓が持たなくて死ぬ分には覚悟もできているつもりだが、コロナで死なせるつもりはない。持病があるからといって、死んで当然と言われたら、思いっきり腹が立つ。
歴史はそうやって巡ってきたというけれど、インフルエンザにも特効薬はある。新型コロナにはそれがない。病院に担ぎ込んだとしても、本人の免疫に任せるしかない状況で、5類にするのは如何なものだろう。5類にしたら政府はお金の節約にはなるだろうし、病院も少しは楽になるかもしれないが、患者の家族からしてみれば堪ったもんじゃない。
感染しないことが1番なのに、何故、感染を増長させるような政策を打ち出してくるのか。働けない人口を減らしたいのか。高齢者が増えすぎたから、合法的に減らすことを考えているのか。夫は持病はあっても働いているし、生活を支えるために命を削っているのだ。余命宣告されても、腐ることなく精力的に働いているのに、周りから見たら早く死ねか。
日本人はこんなに冷酷な民族だったか?私は日本人だし、日本が大好きだけど、こんな考え方をする人たちとは仲良くやっていけそうもない。だいたい、5類に引き下げることにも反対だ。5類にするのは特効薬ができてからだろう。政府の財政事情で国民の命を無駄にされるなんて許されることじゃないと思う。
みんなコロナ慣れして、自分は大丈夫って思っているのかもしれないが、100%大丈夫なんていうことはあり得ないのだ。
何故、そんなに冷酷になれるのか?自分が死ぬのは仕方ないとしても、周りを感染させて死なせてしまうことに罪悪感を感じずにいられるのか?私なら耐えられない。自分のせいで誰かがコロナになって、死の淵を彷徨うなんて御免だ。
大抵の人はワクチン接種をしているとは思うけど、そのワクチンだって有料になるわけで、この先、別の変異株が現れてワクチン接種が有効だとされても、お金のある人しかワクチンすら打つことが出来なくなるのだ。そして、どんどん感染が広がって、多くの犠牲者が出る。そこまで考えて、5類にすることに賛成しているのか。
政府要人だって同じリスクに晒されるわけで、政治の中枢を担う人たちがコロナに倒れたら、政治だってぐちゃぐちゃになるだろう。目先のお金ではなく、もっと長期的に考えてもらいたい。5類にすることには強く反対する。
だいたい、ワクチンだって感染を防ぐためのものではなく、重症化を防ぐためのもの。根本的に治す方法がないのに、何で5類にするのだ。インフルエンザとはわけが違うだろう。高齢者や幼児がインフルエンザで命を落とすことは珍しいことではないかもしれないが、それと一緒にするのはおかしい。これだけ世界中で感染者が増え、死者が増えているのに、何の対策もしないとかあり得ない。
今からでも考え直してもらいと思う。いつか特効薬もできるだろうから、それまでは5類に引き下げは見送って欲しいと心から願う。
スポンサードリンク