いつまでも、メソメソしているわけにもいかないし、そろそろ日常生活に戻りたいとは思っている。気持ちは戻りたがっているんだけど、どうも体がついていかない。っていうか、始めるまでに時間がかかる。やりだしたらできるのに、やるまでに時間がかかるのだ。サボり癖がついたかっていうくらい、何かをするってことが億劫になってる。
なんか、鬱が絶好調だった頃に戻ってしまったみたいだ。まあ、当時は動くことそのものも億劫だったし、ほんと、家族に頼って何もしなかったけど。今はやろうと思えばできるから、鬱が酷くなったわけじゃないんだろう。薬に頼っている部分は多少なりともあるが、泣いていても仕方ないから、少し元気を出したいと思うのだ。
元気は元気と言えるかもしれない。ただ、空気が重い。それ以外は平常だ。自分がやるべきことはやるべきことで、何もしないわけにはいかない。掃除、洗濯、料理、片付け、やらなくちゃいけないことは山積みだ。これを誰かに押し付けるわけにもいかないだろう。娘が気を遣って、手伝ってくれたりするけれど、甘えてばかりもいられないし、何かしている方が気が紛れる。
喪主が忙しいのは、悲しんでいる暇を与えないためだって昔、何かで読んだことがある。やることがたくさんあるから、それによって気を紛らわすことが出来るんだって。1番辛い時期を乗り越える方法なんだそうだ。
その話が、著者の主観なのかどうかは知らないが、私は喪主を務めたわけでもないし、気が紛れるようなことは何もしていない。
空元気でもいいから、元気なふりをするべきなんだろう。家族に心配をかけたくはないし、前述したようにやることは山積みなんだ。全部、放置してしまったから、多分、掃除するだけでも時間がかかる。寒波が来ているから、掃除をするのは後回しにしろって夫には言われるかもしれないが、もう、これ以上の放置はできない。
そろそろ、本気で普段通りの生活を取り戻さないと、って思う。だって、悲しいとか寂しいとかいう感情はないんだもん。でも、なんか落ち込んでいる。このまま続くと、寛解が遠のく。抑うつ状態とでも言えばいいんだろうか。これが続くのは良くない。だけど、自分ではコントロールできないのだ。
パッと明るい話題でもあれば、違うのかもしれない。でも、今は我慢して我慢して我慢するしかない。先々の不安と、この落ち込みもリンクしているのだろう。本当にすべてを神様に委ねることしかできない。委ねて待つ。希望を持って待つ。すべてを益へと変えてくださることを信じて待つ。
自分で書いていて支離滅裂な文章だと思う。考えがまとまらないのだ。思っていることを言葉にしているだけで、そこに何の脈略もない。
心が拒否しているような気がする。現実を受け取り難いというか。現実は厳しいから、この生活もいつまで続くか分からないし、また、最底辺の生活に戻ってしまうかもししれない。そんな不安もあって、とてもじゃないけど平常心ではいられない。
不安の上に悲しみの上塗りをされてしまっては、もはや、逃げ場がないだろう。不安だけでいっぱいいっぱいだったのに、全くタイミングが悪い。この先、生活していくことが出来るんだろうか。みんな明るく将来を語るけど、それが叶うかどうかなんて分からないのだ。
コロナと値上げラッシュのせいで生活はカツカツだ。売り上げが落ちていて、このままでは倒産する。その不安に加えて、今回の不幸のダブルパンチで、私のメンタルはボロボロになっているようだ。もともと、ボロボロだったうえに、更にボロボロになってしまったから、もう手の打ちようがない。
それでも、生きなくちゃいけないとか、人生って何の罰ゲームなんだ?前世とか信じていないけど、今まで悪いことばかりしてきたから、そのツケが回ってきているのだろうか。人生、山あり谷ありって言うけれど、谷しかない。それも光の差さない、暗い谷だ。
マジでこの先、どうやって生きていけばいいんだろう。何も考えないでお気楽に生きていくことなんてできそうもない。遠からず将来、夫も旅立ってしまうのが分かっているから、夫を頼ることもできない。結局、私1人で抱え込むことになるのか。長生きなんてしたくない。生きていたらいいことあるって言うけれど、いいことなんてないじゃん。常に生活の不安が付き纏って、夫のフキハラに怯えて、子供たちには恵まれたけど、兄妹仲は微妙だし、もう、考えることを放棄したい。
私が悩むことないのかもしれないけど、悩んだところで何の役にも立たないのだから。
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