多くの場合、鬱の症状は不眠、拒食、倦怠感、やる気のなさなどになるのだが、私の場合、不眠や拒食にはならず、過眠、過食になる。そして、今現在、絶好調でこの症状が出ているのだ。いくら寝ても眠いのに、何故か明け方目が覚める。フードファイターかと思うくらいに食べてしまう。これじゃ、いくら運動をしても痩せるわけがない。
倦怠感、やる気のなさは同じだけれど、それ以外は典型的な鬱の症状とは異なるので、新米の精神科医などには見落とされる可能性もあるだろう。何事もマニュアル通りにはいかないものだ。鬱症状の出方は千差万別なので、かかりつけのメンタルクリニックのドクターは敢えて病名を患者に教えないようにしているらしい。
無理矢理聞き出したこともあるけれど、診断の度にコロコロ変わるので、自分は心のどこかが病気なんだと思うことにしている。まあ、鬱状態が現れる精神の病気であることは間違いないのだから。せっかく、もう寛解も間近だと思っていたのに、今更、この鬱症状に悩まされるとは思っていなかった。押し寄せてくる希死念慮に抗うだけでも疲れる。将来に明るい光が見えないことも鬱症状が治まってくれない原因の一つなんだろう。
もしかしたら、悲観的に考え過ぎているのかもしれないし、明日のことを思い煩うなという教えからも離れている。極力、考えないことが大事だ。
まあ、そうは言っても、不安なものは不安だ。自分の生活がかかっているわけで、もし、その不安が解消されなかったら、って考えたらその先に待っているものは死しかないような気がしてしまう。大丈夫だと信じることが出来ない。すべてを主に任せるって結構、難しいことだと思うのだ。それが人間の弱さでもある。
不安に感じるのは、鬱の症状の一つかもしれない。貧困妄想とか、いろいろあるから。ここまで、良くなってきていても、逆戻りすることもあるんだと、おかしなことで感心してしまう。本当に、もう何もしたくないし、自分の仕事を放棄していると言ってもいい。
多分、自分は心の病とは無縁だって思っている人でも、何かのきっかけによって簡単に鬱の世界にようこそっていうことになる。だから、私たちを馬鹿にしたりするのはやめて欲しい。決して、心が弱いからとか、そういったことで精神を病むわけではない。
頑張り過ぎた結果だったり、無力感に襲われてそのまま回復しなかったり、それこそ不安から立ち直れなくなって発症することだってある。精神科に行ったって、自分に合う薬が見つかるまでは、日常生活を送ることもままならない。それでも、もがいてもがいて、生きていかなくちゃならないんだ。希死念慮の誘惑を馬鹿にしてはいけない。
死んだら楽になる。この考えに取り付かれたら終わりだ。死ぬことしか考えられなくなる。本来、生物とは生きようとするものであって、自ら死を選ぶなんてことはないのだ。だから、死を回避しようとして、足掻くのだ。足掻いても、希望が見いだせなかったら、人は死を選ぶんだろうと思う。私の場合は、薬で希死念慮を抑え込んではいるけれど、それだけでは済まないこともある。それだけ、希死念慮とは暴れ出したら手が付けられない。
死ななければいいってことでもないと思う。生きていればいいってドクターには言われているけれど、こんなに辛いのに、生きていけないって思うこともある。死んだら、残された人達が迷惑するのは分かっているけれど、そんなことどうでも良くなってしまう。
過眠は死を考えずに済むので、あながち悪い症状だとも言い切れないのではないだろうか。以前、処方されていた頓服はひたすら眠くなるというもので、眠らせて不安を紛らわせるという効果しか感じられなかったし、眠っている間は何より死について考えられない。だから、私の鬱症状が、不眠ではなく過眠で良かったと思うことにしている。
過食に関して言えば、ちょっと問題があるというか、問題あり過ぎだろう。食いつくしてしまうし、今のご時世、食料品も高い。太りたくないのに食べてしまうのは忍耐が足りないからなんだろうか。食べなjいようにしようと思っても、そんな決意はどこへやらだ。
落ち着いていた時には、適度に食べて適度に寝てってできたのに、今の私にはそれができない。何とかしようとすればするほど、深みにはまっていくような気がする。
どんなことも時が解決してくれるとは思うのだが、その時を待てない。待てずに悪い方へ、悪い方へと考えてしまって、ますます、鬱症状を酷くしている。自覚はあるのだ。自覚があるのだから、多分、1番、鬱症状が酷かった時よりはマシなんだろう。ただ、一歩間違えば、当時と同じくらい酷くならないとも限らない。
自分を甘やかしてあげることも大事かもしれないが、それができるくらいなら、鬱症状なんて出ないだろう。せめて、希死念慮だけでも何とかならないものか。ならないだろうな。
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