10年に1度の大寒波とかで、日本列島、大変なことになってる。私は寒さに弱いから、地球温暖化の影響と心配されても暖冬の方が有難い。冬型の気圧配置で、日本海側はとんでもない状況のようだし、私が住んでいるところでも気温はマイナスだし、寒冷地仕様になっていないから、給湯器とか排水管とか凍りつくんじゃないかと冷や冷やしている。
寒さの峠は越したのか知らないけれど、もうすぐ立春だというのに、春なんてほんとにくるのかって疑いたくなるレベルで寒い。積もるような雪が降っていないだけマシなのかもしれないが、雪など降ったりしたら、ドアが開かなくなるという家の作りなので、できれば積雪は勘弁してもらいたい。
金沢に住んだ時、ほとんどの家のドアが引き戸で、そうじゃない家もドア付近を覆うように透明の覆いがついていて何だこれ?って思ったんだけど、雪でドアが開かなくなるから、それを防ぐために必要だったんだって気がついた時は衝撃だった。雪が多い地方ではこんな工夫も必要になるんだって目から鱗で、その後、数年間は大雪との戦いだった記憶がある。
決して、金沢は嫌いじゃなかった。寒かったけど、嫌いではなかった。大雪で道が塞がれて灯油が届かないとかいうトラブルに見舞われることもあったし、滑って腕を強打したこともあった。あまりの寒さに自家製ヨーグルトが作れなくなったりもした。
電車の本数は少ないし、移動はバスか徒歩が頼り。車がないと不便で、でもペードラで運転できない私は信じられない距離を徒歩で移動することが多かった。太平洋側に帰ってきて、もう1度、金沢で暮らせって言われたら全力で拒否するけど、いい経験にはなったと思う。
寒さや雪は金沢暮らしで慣れているだろうって思われるかもしれないが、実は全然、慣れていない。寒さは本当に嫌いで、暑い方がまだ我慢できる。
でも、地球は今、氷河期に向かっているらしい。だから、地球温暖化の原因が本当に二酸化炭素なのか、自然現象なのかなんて分からないというのが専門家の中でも議論されているらしいのだ。本当に地球がヤバくなったら、気温は下がるという。温暖化しているということは、まだ、そこまでヤバくないともいえるのかもしれない。
小さな氷河期なら、人類が誕生してからもちょくちょく起きているのだ。普段の冬では凍らない川が凍って、スケートをしたとか、そんな記録が世界中に残っている。でも、今回、向かっている氷河期は、そんな規模のものではなく、マンモスがいた頃と変わらない寒さをもたらすという。
それが何年後に来るのか分からないけれど、人類が生き残れるかどうかも分からないけれど、寒いのが当たり前の時代になったら、どうなってしまうのだろう。生き残る自信はない。今の寒さだけでもこりごりなのに、もっと寒くなったら、とてもじゃないが生きていかれない。
最低気温がマイナスになるだけで、怯えているようでは駄目だろうって自分でも思う。でも、水道がでなくなったらとか考えると怯えたくもなる。
もう、これ以上寒くならないで欲しい。灯油も電気も高くて、家計を圧迫する。水道光熱費だけで、いったい、どれほどかかっているかを考えたら、寒くてもヒーターは点けないとか無謀なことを考えてしまう。
寒過ぎて、ファンヒーターも1日中、温風を噴き出している。普段なら、室温が上がったと検知して自動で止まるのに、ここ数日は全く止まることがない。灯油が高いから、設定温度は19℃にしてあるが、本当はもっと高くしないと体に負担がかかるらしい。
そうは言ってもない袖は振れない。無事に冬を乗り越えられるように祈ることしかできない。冬の寒さは、気温に限ったことではなく、生活面でも同様なのだ。乗り越えれるように祈るしかないのだ。私にできることはそのくらいしかない。
マジでヒーターを点けていても寒い。寒いのは嫌いだが、子供の頃の冬は、絶対に今よりも寒かった。つららもできたし、霜柱も立った。外に水を張ったバケツを置いておけば、しっかり凍ったものだ。どうやら、すっかり暖かい冬に慣れてしまったらしい。昔は、もっとしっかりとした四季があったのだ。
寒かったけれど、特別、苦手意識はなかったように思う。いつから冬が嫌いになったのだろう。年齢を重ねてからか?気が付いたら、冬が大嫌いになっていた。何をするのも億劫になる。体が寒さでこわばってしまう。寒波なんて来なくていい。
早く、暖かくなって欲しいと願うばかりだ。
スポンサードリンク