高級ブランドで着飾りたいとか、一流レストランで食事をしたいとか、贅沢な暮らしを望んでいるわけではない。普通に、困ったことが起こらない人生を送りたいだけだ。平凡で退屈な人生、これが1番の幸だと思ってきた。波乱万丈の人生は小説に中か漫画の中だけで充分だ。自分の人生は平穏でありたい。
でも、神様は平凡で退屈な人生を送らせてくれる気はまったくないようだ。いつも、何らかのトラブル、アクシデント、リスクをくださる。その度に、不安に駆られ、落ち込み、せっかく良くなってきたメンタルの調子も落とすことになる。心配するのはもう嫌なのだ。もう、何もかもお終いにしてしまいたい衝動を抑えきれない。
人として生まれてきた以上、人間らしく生きて死にたい。そんな、ささやかな願いも叶えてくださらないのか。私の人生っていったい何だったんだろう。子供の頃は虐待され、社会に出てからはロクでもない男にしか引っかからない。挙句、結婚した相手はフキハラ、DV、起業マニアでお金の苦労ばかり。そりゃ、心も壊れてしまっても当然だろう。
本当は、入院して外の騒音をシャットアウトしてしまうことが、私の精神の安定にはいいのかもしれないとは思う。だけど、多分、それは叶わない。ここまで回復して、今更、入院はあり得ないだろう。それも、今の状況から逃げ出すための入院なんてできるはずがない。
もしかしたら、平凡で退屈な人生を送ることは、とてつもなく難しいことなのかもしれない。トラブルのない人生なんてないだろうし、理不尽なことのない人生もないだろう。努力が必ずしも報われるわけではないし(努力が無駄にはなると思わないけど)、失望に終わることもあるだろう。私がネガティブに考え過ぎているだけなのかもしれない。
ポジティブであることは大切なことだ。最期まで希望を捨てないことも大切だ。自分が歳を取って、外で思う存分働くこともできないようになって、容姿も衰え、何の取柄もないと感じる。自分は無力だと感じて、生きる価値があるのかと自問自答するようになる。私がいなくなったところで、地球は公転も自転もやめないし、日常生活に支障をきたすこともない。
ポジティブに考えようとしても、ネガティブになってしまうのは、病気のせいだとしておこう。今は何をするのもしんどいんだ。問題が山積しているから。そして、それは自分がどうこうできる問題ではなく、人に委ねることしかできない。自分で何とかできるのであれば、とっくに行動に移しているだろう。
まあ、行動した結果が善だったケースは殆どないが。
私は待つのが嫌いだ。待っている間にネガティブなことしか考えないから。生きていくのはしんどいことの連続で、心から笑えたのはいったいいつだったか。だから、欲しいものは平凡で退屈な人生なのだ。つまらないなんていうことはない。困ったことが起きないことが幸せなのだから。何もすることのない人生ではなく、アクティブに動いても大丈夫で、尚且つ、困ったことの起きない人生。でも、おそらく、そんな人生はないだろう。
どんなに平凡に見えても、退屈そうに見えても、その内実は分からないものだ。ずっと困ったことが起きなかったとしても、最終的には死が訪れる。平凡で退屈な人生はそこで終わってしまうのだ。それが、自分の死であるか、家族の死であるかは分からないけれど。
心は事象を現実にすると思う。だから、ポジティブに考えたい。ポジティブな思考は幸福を呼びこみ、ネガティブな思考は不幸を呼び寄せる。それが分かっていながら、なかなかポジティブには考えられないから困る。ポジティブに物事を捉えることが出来たら、そもそも心の病気に悩まされることもなかっただろう。
今までの人生を振り返ってみると、何とかならなかったことは1度としてないんだ。不安、心配、苦境、いろんなことがあったけれど、何とかなって今がある。あまりにもいろいろあり過ぎて、平穏に生きることが出来ないでいる。
こんな私を神様は見捨てない。それだけは、確信しているんだけど、その時が来るのを待つのが辛い。確信しているのに、もしかしたらって疑ってしまう自分の不信仰に嫌気がさす。でも、決して見放さないでいてくださると信じることで、どれだけ救われることか。これは、信仰を持たない人には決して理解できないことだろう。
常に最悪のことを想定しているって妹は言う。ポジティブに考えようぜって次男坊は言う。どちらも正しいと思う。私ときたら、おろおろするだけで何の役にも立っていない。みんながベストを尽くしている中で、私だけが何もできないという歯痒さ。お荷物にしかなっていないという申し訳なさが私の心に重く圧し掛かる。
とにかく私に、平穏な暮らしをさせてくれ。さもなければ死を。ダメだ。今日の落ち込み具合いは半端じゃない。もっと気楽に考えられたらいいんだけど、鬱の沼にハマってしまったら、そう簡単には浮上できないだろう。
平凡で退屈な人生を送りたかった。平穏な暮らしをしたかった。ささやかだけど、これほど難しいものはないんだろう。見た目じゃ何も分からないものだ。他人の家の芝生は青いってことだね。
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