最近、朝、アラームをかけた時間に起きられない。眠くて、アラームを止めたらまた寝てしまうう。朝はやることがたくさんあって、ちゃんと決めた時間に起きないと、時間が押して、困るのは自分だって分かっているのに、どうしても起きられない。
明らかな過眠状態だと思うのだが、不思議なことに夜、眠ろうとしても眠剤がないと入眠できない。過眠状態なのだから、眠剤なしでもで眠れそうなものだが、そう簡単にはいかないらしい。自分のことなのに、自分ではコントロールできない。時には、眠くて座ったまま眠っていることもあるのに、いざ、お布団に入ると、眠気なんてどこへやら、全然、眠くならないのだ。
多分、心の不調が引き起こしているのだろうとは思うけど、それに振り回される方は堪ったものではない。自分のことなのに、まるで他人ごとのように感じる。心と体が別物のように感じる。特に、今は春だから余計に調子が悪くなるのだ。精神疾患患者にとって春と秋は鬼門だ。何故か調子が悪くなる。何もなくても悪くなるのに、大ダメージが加わった私の精神状態がおかしくなったとしても、まったく不思議はないだろう。
母が亡くなったからだけじゃなく、日々の不安が私の心に重く圧し掛かる。底辺を見てきたけれど、その底辺に戻りたくはないし、開き直ることもできない。不調にもなる。
心の病には、刺激は悪影響だ。何もない、外界から遮断された中で療養するのが1番いいのだ。でも、私は入院したいとは思っていないし、そこまで、悪化させてしまったとも思っていない。ただ、心穏やかに過ごすことが出来ないだけだ。
過眠も不眠も生活の質を下げる。夜、ちゃんと眠って朝になたら活動できるようにしなければいけない。それなのに、放っておいたら多分、昼かそこらまで眠り続けてしまうだろう。自分の仕事を放り出して、眠っている時間がもったいない。
夜だって、決して夜更かしをしているわけではないのだ。日付の変わる頃、ごそごそと就寝の仕度をして、眠剤を飲んで布団に入る。朝起きるにはゆっくり目にしてあるから、たっぷり7時間以上は眠れるはずなのだが、中途覚醒、早朝覚醒するのが良くないのかもしれない。朝までぐっすり眠れたことは、この病にかかってから、数えるほどしかないのだ。
精神科の門を叩いてから、既に20年以上が経つ。その間、ちゃんと眠れたのが数えるほどって、いったいどういうことなんだろう。眠剤を飲まないと眠れないのも、昼間、活動していないからなのか。でも、昼間はこれでも、いろいろとやっていると思うのだが、足りないのだろうか。外に出ることは滅多にないが、家の中で家事をこなして運動もして、趣味に興じてと結構、充実した日々を送っていると思うのだが。
でも、体を動かしていないと、途端に睡魔が襲ってくるのだ。趣味に没頭していても、半分、寝ているなんていうことはざらで、かなり危険だ。それだけ、心が不調を訴えているのだろう。訴えられても、どうしようもない。自分の力で解決できるなら、そもそも病院に通う必要もない。
不安要素を取り除くことが出来れば、少しは違ってくるのかもしれないが、生憎、不安を失くすことはできない。私の手には負えないのだ。時間が解決するような問題でもない。確かに、母を亡くしたダメージは時間とともに回復していくだろうが、不安はそう簡単には解決しない。私が足掻いたところで、どうにもなる問題ではなく、悪い知らせしか聞かされないのだから。
もう、最初から夢なんて見なければ、今に不安もなかったかもしれない。なまじ夢を見て、その夢を現実にしてしまったからいけないのかもしれない。その夢を叶えたのは私じゃなく夫だ。その夫も、この先、長くは生きられない。
それだけでも不安なのに、もっとどでかい不安要素があり過ぎるのだ。過眠や不眠になったとしても、まったく不思議はないだろうし、何なら、もっと調子が悪くなってもおかしくないほどの不安だ。ここで踏み止まっている自分、偉いって褒めてあげたいくらいだ。
ポジティブに考えられない。私はいつでもネガティブにしか考えられない。常に最悪を予想してしまう。それなのに、最悪の事態に備えていないという矛盾。これでは、不安がもっと広がってもおかしくはない。
心が不調でも、どんなに不安でも生きるしかないのだ。神様の時が来るまで、あと何年残されているか分からないけど、自分で自分を殺すことなく生きていくのが、かなりしんどい。不調が睡眠だけに留まってくれている間に、不安要素を1つでも解決できればいいのだが、それも、なかなか難しいだろう。自分の努力でどうにかなる問題ではないのだから。
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