私は子供たちに、特に娘に依存している。夫と2人きりの生活なんて耐えられない。子供たちがいるから、娘がいてくれるから我慢できる。本当は、そんなことじゃいけないっていうことは分かっている。順番からいえば、私の方が先に逝くのだ。その時、残された子供たちはどうなるのか。だから、本当は自立させた方がいいって分かってる。1人暮らしさせて、或いは結婚させて幸せな人生を送らせたい。親のエゴで引き留めるのではなく。
それは、十分に分かっているのだ。十分過ぎるほど分かってはいるのだ。でも、私は娘を手放したくない。決して良いとは言えない夫婦関係の緩衝材として使っている側面がないとは言えない。でも、それ以上に、私は娘を愛しているのだ。もちろん、他の子供たちのことも愛している。だが、娘は特別なのだ。末っ子で初めての女の子だったこともあるだろう。
でも、もう、子供たちを独立させなければいけないという諸事情がある。子供たちがいない夫と2人の生活は私にとって息が詰まるものになるだろう。ひょっとしたら、ストレスから病気になってしまうかもしれない。それ程、苦痛なのだ。夫と2人で生活するくらいなら、1人暮らしをした方がいい。独居老人になる方がマシだ。
夫は何も感じていないようだが、気を遣って気疲れして、夫の機嫌を取る生活にうんざりしているのだ。子供たちがいると、子供たちと話をすることで気が抜けるのだ。少し、気が楽になるのだ。でも、それが子供たちのためになるかと訊かれたら、多分、答えはNOなのだろう。海外には成人したら親元を離れて1人で暮らさなければならないという法律のある国もある。私も覚悟を決めなくちゃいけない。
いつまでも一緒にいられるということはないのだ。子供たちは、家業を一緒にやるという選択をしたから、今まで一緒に暮らせただけ。もし、これが長男坊や三男坊のように1人で頑張るという選択をしていたら、もう、とっくにここにはいない。それなのに、まだ、足を引っ張るような真似をするのか。まったく、自分の依存体質が恨めしい。
私が、もっとしっかりしていれば、夫婦関係もここまで拗れなかっただろう。私がイエスマンでいたために、夫が図に乗って、好き勝手するようになったんだろう。すべては私の責任であり、子供たちはその犠牲者だ。それなのに、離婚する時には一緒に連れて行ってねって成人してからも言う娘が愛しくないわけがない。愛し過ぎて、残されるのが辛い。多分、娘も辛いだろう。
娘は1人暮らしなんてする気はないって言っていたから。でも、ここは生きるために突き放さなければならないんだ。今生の別れになるわけじゃない。そうは思っても、悲しさや辛さが消えるわけじゃない。何かあれば抱きしめてくれる娘が、どれほど私の慰めになっているか。あの温もりを感じられなくなるのは、とても悲しいし、耐えらることじゃない。
いつも、娘に依存して苦手を全てやってもらって、本当に私はダメな母親だ。本来ならお手本にならなければいけないのに、まったくお手本になっていない。何なら迷惑しかかけていない。それなのに、無条件で受け入れ、愛してくれる娘を、どうして手放すことが出来ようか。
仕方ないのだ。これが現実なのだから。夫と2人きりの生活といっても、それも長くは続かないだろう。夫は心臓が悪くて、いつ神様の時が来てもおかしくはない。今はいい薬ができているから、摂生さえすれば余命宣告を超えて生きることは可能だ。でも、煙草をやめられない時点で心臓には相当の負荷がかかっているから、それほど長生きできるとも思えないし、実際、あと10年、20年と生きるのは無理だろう。
もしかしたら、残されている時間はほんの僅かしかないかもしれない。そして、その気になれば、私は夫の死期を早めることが出来る立場にある。もちろん、違法な手段は使わない。それでも追い込むことはできるのだ。
夫にしたって、決して長生きしたいわけではないだろう。もし、長生きしたかったら、臓器移植を希望していただろうから。夫の病気を治すには、心臓移植するしかないのだ。それを断ったのだから、覚悟はしているんだろうと思う。そんな夫も娘を溺愛している。甘やかして、欲しいものは何でも買ってあげて、まあ、あまりよろしくはないだろうけど、それが夫の精一杯の愛情表現なんだろう。
夫とは気が合わないが、娘が可愛くて仕方ないという点では利害が一致する。娘がいなければ、私たちの関係は崩壊していたかもしれない。娘自身は気付いていないだろうけど、彼女の存在は素晴らしいものなのだ。
だからこそ、幸せになって欲しいと心から思う。私たちがいなくなった後、1人ぼっちの中高年になって欲しくはない。それは息子たちにも同様のことがいえる。これは、いい機会だったのだと思おう。どんなに大変であろうとも、主が必ず、すべてを益へと成してくださるのだから。
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