今年、初めて母のいない母の日を迎えた。毎年、母の日には何かしらプレゼントしていたけれど、今年からは何もない。母の日って言ったって、私は母に感謝なんてしてなかったし、形だけのものだったけど、何もなくなってしまうと、それはそれで寂しいものがある。
私は母が苦手だった。子供の頃、散々、叩かれてきたし、八つ当たりの道具にさせられてきたからね。そして、それと同じことを子供たちにもしていた自分も嫌いだ。親を見て子は育つっていうには真実なんだろう。1つ、私と母の違う点は、私は覚えているけれど、母は忘れてしまっていたことくらいか。私は自分がしたことを覚えているから、母親失格だと自覚できるけど、母は忘れていたもん。
忘れる忘れないはともかくとして、母が私に八つ当たりしていた気持ちは分かるんだ。ストレスとか家庭内の不和とか、いろいろあったんだろう。でも、それは子供を叩いて暴言を吐いていい理由にはならない。母は小学校で教諭をしていたけれど、多分、いい先生だったんだろう。でも、いい母親ではなかった。妹にとってはいい母親だったかもしれないが、私の目から見たら鬼だった。
それでも、私は母に愛されたかった。多分、多くの場合、母親って特別な存在なんだろう。本当に毒親で、縁を切ってしまうような親も少なからず存在しているみたいだけれど、私は母に愛されたかった。だから、母の言うことは聞くようにして、母の選んだ友達と遊び、母の望むような成績を取るために必死になった。結局は無駄な努力だったみたいではあるが。
私のとって母の言うことは絶対だった。大人になってもそれは続いて、夫との関係についても口出しされ、母の言いつけを守って、夫には逆らわないようになった。その結果、夫とは喧嘩もできない、夫のいいなりになってしまったけど、母に気に入って欲しくて、母に愛されたくて、母の言いつけに背くことなんてできなかったんだ。
だけど、いい子を演じるのは疲れる。私は母の望むようないい子じゃないから。だから、隠れて悪いこともしてきた。そうしなければ、いい子を演じ続けるなんてできなかったから。今も、私は母の呪縛から逃れることが出来ない。もう、母はいないのに。
母が母親らしいことをしてくれたという記憶がない。庇ってくれたことはあるけれど、その時も何か魂胆があるんじゃないかって疑ってしまったくらいだ。それだけ、母は私に辛く当たった。毎日、叩かれた。毎日、罵られた。私は母から、実家から逃げ出したかった。1人暮らしをしたいからなんていう理由では、実家から出してもらえないのは分かっていたから、誰でもいいから結婚したかった。それが、今の夫なんだけど、逃げ出したいがための結婚なんて、上手くいくはずもない。
駆け落ちして、結婚してっていう経緯もあるから、簡単に離婚もできなくて、ずるずると今日まで来てしまったけど、ここに母の影響がなかったといえば嘘になる。母は私の味方にはなってくれなかったけど、期待して裏切られて、失望しても、やっぱり母に愛されてみたかった。母親に愛されるとはどんな気持ちがするものなんだろう。安心感を感じるものなのだろうか。
妹は母を慈愛の人だと言うけれど、それは私の過去を知らないからだ。私のとっての母は決して慈愛の人なんかじゃない。ただの暴力をふるうだけの人だ。それでも、少しでも愛しいと感じて欲しかった。もしかしたら、妹が生まれるまでは、可愛がられていたのかもしれない。いや、そんなことはないか。思いでは曖昧で、はっきりしないけど、母は私に無関心だった。
母の日は、母親に感謝する日だろうとは思うけど、私は感謝できないでいる。母が亡くなって4ヶ月経つけれど、未だに1度も墓参りにさえ行っていない。
分からないんだ。母が本当は私のことをどう思っていたのか。お金の無心をして、すべてを奪って、それでも受け入れてくれたのは、母が私を愛していてくれたからなのだろうか。それでも愛されていたと感じられないのは、私の心が鈍く、頑なだからなのだろうか。私には真似できないよ。妹が言う通り、母は慈愛の人だったんだろうか。
母に会いたいとも思わないけれど、母には謝りたい。私がしてきたことは間違いだったって。居心地の悪い実家でくすぶっているのも嫌だったけど、相手を選ばす結婚して、復讐のためにお金を集って、不安、不幸のどん底に突き落としたのは私だ。それなのに、ケアハウスで今が1番幸せだと言っていたという母。
私には絶対に真似できない。母が私にしてきたことを、私は消化できていないけど、いつか赦せる日が来ると信じている。今、こうして生きているのは母がお金を工面してくれたからで、それは、母が私に示せる精一杯の愛情表現だったのかもしれない。ごめんね、ママ。そしてありがとう。
ママ、ありがとう。天国で待っていて。
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