私には、怖くて嫌いなものがいくつかある。風の音、雷、地震、この3つはどうしても受け入れられない。風が吹いて窓がガタガタという音をさせるのを聞くと、恐怖で体が竦む。雷の音もそう。稲光だけなら、なんてことはないけど、ゴロゴロいい出したら、もう、怖くて堪らないし、地震なんてそれ以上に怖くて嫌いだ。
小さな地震でも、床にペタリと座り込んで動けなくなる。とにかく、そういった自然現象は私にとって、恐怖の対象でしかない。これは、生き延びたいという本能が働いているのかもしれないが、世の中に地震が好きっていう人は、まず、いないだろうとは思う。
風の音、雷は大丈夫な人でも地震は怖いと思うだろう。私みたいに神経質ではないにしても、大きな地震に恐怖を感じない人がいるなら教えて欲しい。地震が怖くなくなる極意を教えてもらいたいから。もしかしたら風の音が嫌いなのは、風が鳴らす音が地震の時に音に似ているからかもしれない。
決して、子供の頃から風の音と雷が苦手だったわけではない。地震はダメだったけれど、風の音や雷は稲光が綺麗と感じる程度には恐怖を感じることはなかった。流石に、ゴロピカドンってなるとテーブルの下に潜り込んで耳を塞いでいたけれど、今ほど、恐怖を感じることはなかったのだ。
いつからか、この3つが本当に恐怖の対象になり、何とか、その恐怖をやり過ごすことが出来ないかと考えはみるのだが、どう考えても克服方法が見つからない。せいぜい、窓を閉め切って、ガタガタいう音を抑えるのが精一杯なのに、空気の入れ替えと称して、窓を全開にしている夫を見ていると、殺意さえ覚える。夫は風の音が嫌いなことを知っていて、決して閉めることをしない。
時には、嫌がらせかと思うこともある。でも、本人、まるで悪気はないのだ。風の音がどれだけ怖いか説明しても、理解できないだけで、理解できないから1日中、窓を開けっぱなしにしていて平気なんだろう。暑いから窓を開けるとか、そういうことではなく、自分が吸う煙草の煙を外に出したいために開けているんだから。
そのために、こちらがどれだけ恐怖感を味わっていようと関係がない。っていうか、理解ができない。せめて、階段の小窓だけでも閉めてくれたら、恐怖は半減するのだが、そういった配慮も思い至らないらしい。
あからさまに、大きな地震以外は自分が恐怖感を持たないからか、まったく配慮に欠けるのだ。私が閉めてしまえば怒り出すのは目に見えているし、キレられても困るのだが、仕方ないから我慢している。でも、そういった不満が積み重なって、修復不可能なところまで行ってしまうのだということは、分かっているつもりだ。
実際、この先も夫と暮らしていく自信なんてないもん。小さな不満の積み重ねが、大きな不満、大きな溝になり、もう、一緒にいたくないってなる。そして、大抵の場合、夫婦両方が我慢できなくなるわけじゃなく、片方だけが不満を募らせているんだ。
だから、いきなり別れを切り出されたとか、そういった話になってしまう。まあ、そうならないためには、普段からの話し合いが大切だとは思うのだが、往々にして、話し合いに欠けていることが多い。我が家も、夫婦間の話し合いは殆どないので、お互いが何を考えているかなんてまるで分からない。
夫には怖いものなんてないのかもしれない。でも、私は風の音も、雷も、地震も怖いのだ。同じものを怖がって欲しいわけではないが、せめて、私が怖くないように配慮して欲しい。怖いものを怖くなくなれって言われても困るが、寄り添う気持ちを忘れてはダメだろう。
夫婦も長くやっていると、何も言わなくても分かっているつもりになり、相手の不平不満を見落としがちになる。だから言葉にすることは、長く夫婦をやっていても大事なことであり、決して怠ってしまってはいけないんだろうと思う。
夫がキレるのが怖くて、私たちの間には会話がない。風の音が怖いと言ってあっても、どのくらい怖いのかとか、理解しようという気持ちはないらしい。しつこく言い続けたらキレるし、私はいったいどうしたらいいのだろう。
自分は怖くないから、関係がないとでも思っているのか。怖いよ。今だって風でガタガタという音がしている。それを怖くないと笑ってやり過ごすことはできないし、竦んでしまうほどの恐怖感を味わっているんだ。
風の音、雷、地震、みんな嫌いだ。本当に怖い。克服したいとも思うけれど、怖いと感じられる感性も決して不要なものではないだろう。それが、私を私たらしめているものだとしたら尚更だ。
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