これも、心の病が原因になっているのか自分でも分からないんだけれど、人と会話をするのが苦痛だ。会話だけじゃない。挨拶することすら苦痛に感じる。怖いと感じる。
今朝、洗濯物を干そうとして、窓を開けたら大家さんが草むしりをしていた。ここは住宅密集地で、お隣との距離がかなり近い。手を伸ばせば触れそうなくらいのところにいる大家さんを無視することもできず、挨拶だけはしたけれど、心臓がバクバクして手が震えて、上手く洗濯物を干すことが出来ない。
そもそも、大家さんの顔も覚えていないから、大家さんの家の敷地で草むしりをしていなければ、彼女が大家さんだってことも分からなかった。道で出会ったとしても、スルーしてしまう。それは、あまりにも礼儀知らずだ。でも、私はご近所の方の顔なんてまったく覚えていないんだ。
ここに引っ越してきてから5年。ほぼ、引きこもって近所付き合いもない。嫌いなんだ。べたべたした付き合い。人が嫌いなのかもしれない。
でも、この恐怖感は、心の病からきているのかもしれない。大元になっている精神疾患に付随してついている、恐怖症の数々。その中の一つが対人不安症。対人恐怖症とは若干意味合いが異なる。とにかく、人と付き合うことに抵抗とか恐怖とか感じるのが対人不安症で、相手を不快にしてしまうんじゃないかという恐怖感を抱くのが対人恐怖症だったはず。
でも、こんなんじゃ生活できないだろうなって、もっと人と関り合いになれるようにならなければ、ダメなんだろうなって思いもあるにはある。
それでも、無理に愛想振りまいて、ご近所付き合いをしたいとは思わないし、美容院で話しかけられるのも嫌だし、病院でも必要最低限のことしか話さないし、自分が饒舌だった頃って、やっぱり、病気を発症する前なんだよね。
美容師さんに呆れられるほどお喋りで、誰かと親しくなることに何の抵抗もなかった。それなのに、今はこの様だ。家族とする会話ですら、ほとんどなくて、何も話したくないっていう思いが強い。家族だから黙っていても分かってもらえるなんて思っちゃいないけど、会話をすることがきついんだ。夫といえど、所詮は他人。子供だって別人格。好き嫌いは置いておいて、話をするのが苦痛なんだ。
そりゃ、赤の他人と会話をするよりはずっとマシだけど、できれば、話しかけて欲しくはない。どう反応したらいいのか分からないから、困るんだ。共通の話題があるわけじゃないし、彼らの興味と私の興味は違うじゃん。会話のキャッチボールができないんだ。
これは、自分が頑張ってどうにかできる問題じゃない気がする。電話で会話をするのだって、電話を切った後、半泣き状態になる程、恐怖を感じるし、それでも、自分がやらなくちゃいけない問題は、自分で解決しているつもりだ。ただ、ちょっとのことで、どっと疲れる。対人っていうのが、本当に辛い。
まあ、だからといって、カスタマーセンターが全てチャットやメール相談でも困るんだけどね。人に訊かないと分からない問題もあるわけで、でも、できれば、そういった問題は他の家族にお願いしたい。パニクっているから、相手の言うことが理解できないことがしばしばあるんだ。
もう、20年もこんな調子でいるから、いい加減、克服したいし、寛解もしたい。でも、良くなったかなって思うと、また、どん底に落ちるようなことが起きる。そんなんだから、いつまで経っても安定しない。
今は、大分、落ち着いては来ているが、それでも希死念慮はあるし、鬱鬱している時もあるし、集中力も続かなくなっているし、ロクなことはない。大家さんがドアを開ける度になるベルの音にビクッとするし、ドアチャイムが鳴る度に、ドキッとする。
電話なんてかかってきたら、もうどうしたらいいのか分からない。電話に表示される電話番号を見つめて、出るかどうかを逡巡するくらいには電話は嫌いだ。言っていることが半分も頭に入ってこない。こんなんじゃダメだと思いつつ、ぱっと行動することが出来ない。
だからといって、世捨て人になりたいわけでもないんだよ。街中に住みたいと思うし、田舎暮らしができるとも思えない。自分のテリトリーを守りたいっていう気持ちが大きいから、地域の結束が強いところでは暮らせないと思う。静かに引きこもって生活できるなら、それが1番いいのだ。誰かと、時別、仲良くなりたいわけじゃないし、人と話ができないことで困ることがなければそれでいい。
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