人でも動物でも、死は悲しい。ダービーで、スキルヴィングが心不全を起こして死んでしまった。生の世界にいる以上、死の世界に逝ってしまうものを悼んでも当然のことだろう。それが、人でも馬でも変わらない。
私はギャンブルはやらないから、スキルヴィングがどんな馬なのかなんて知らない。でも、途中で競争を中止することなく、ふらふらと歩いて騎手を降ろしてから倒れるとは、何と言う競走馬魂なのか。心不全ということなのだが、道中、辛かったのではないかとか、いろいろと考えてしまう。調教師はそれ程苦しむことなく旅立ったと思うって言っていたけれど、まだ、たったの3歳だ。馬の寿命なんて知らないけれど、まだ、若いっていうことは分かる。
実際、心不全で亡くなる馬は多いらしい。原因は分かっていない。まあ、心臓が止まれば心不全だから、どんな原因があったとしても心不全で片づけることが出来るわけだが、なんか、騎手に怪我をさせないように頑張ってゴールまで歩いて、下馬するのを待っていたかのような死に方で、それが悲しさを倍増させるのだ。
死は、誰にでも訪れる。早いか遅いかの違いはあれど、命あるもの、必ず、いつかは死ぬのだ。私も、この年齢だ。それなりにいろんな人や動物を見送ってきた。でも、その死に慣れるということはない。いつでも悲しい。自分が置いていかれることが悲しい。もう、いないという事実が悲しい。
多分、今回のスキルヴィングの死は、私なんかより、騎手や調教師に深い傷を残したに違いない。夫も強くなる馬だと思っていたのに残念だって言っていた。多分、彼のことだから、仕事部屋でニュースを見て、ボロボロ泣いていたんだろう。
死は突然やってくる。誰も予想していない時にもやってくる。
私の母がそうだった。入院して、誰も死ぬなんて思っていなかったのに、吐いた途端に心臓が止まった。看護師さんが眠ったのかと思ったというほど、穏やかな死だったらしい。御腕に抱かれてって聖歌があるけど、ほんとに母はイエス様の御腕に抱かれて天に上ったんだと思った。この歌は母の歌だって思うほど。
葬儀の日まで、私は泣かなかったけど、その分、ダメージは大きい。もう、いないし、頼ることもできないし、まあ、生きていたとしても頼りにすることはできないけど、やっぱり、愛されたかったなって思う。
死んでしまったら、それも叶わない。何も叶わない。だから、丁寧に生きていきたいと思う。私だって、スキルヴィングや母のように思いがけない時に死が訪れるかもしれないわけで、だから、後悔のない生き方をしたい。
悲しい。自分の母親の死は悲しんでいても当たり前だけど、馬の死をいつまでも引きずるのはおかしいかもしれない。でも、死に慣れないことは悪いことではないだろう。せめてウマ娘で復活してくれないかなとか、不謹慎なことまで考えてしまう。
競馬には興味ないのに、これも夫の影響か。
私だっていつかは死ぬ。その時、誰か悲しんでくれるだろうか。やっと死んだかとか言われるのは嫌だ。そうなる前に、迎えが来て欲しいと願うのみだ。