私にとってクロスステッチは日常だったはずなのに、最近、針を持つだけの気力がない。不安を抱えているせいもあるのかもしれないが、針を持つ気が起きないのだ。クロスステッチは精神安定剤になるし、無心にチクチクしていられて時間を忘れることもできるはずなのに、何故かスマホのジグソーパズルばかりやっている。
針を持ちたくないわけじゃない。気合いを入れて用意をして刺し始めれば、もうそこはかずのんワールドで、誰も私の邪魔はできない。そのくらい集中してチクチクしている。問題は、用意する過程まで気持ちが追いついていないのだ。
幸い、どこまで刺し終わったか覚えているから、再開した時に困ることはない。それも良くないのかもしれない。どこまでやったか覚えていられないんだったら、忘れないうちにと引っ張り出してステッチするから。
決して、クロスステッチに飽きたとか、嫌いになったとかいうことじゃない。新しいキットを見つけては、あれもこれも欲しいってなる。経済的に買えないから、ひたすら我慢なんだけど、毎日、新作キットをチェックするのは恒例だ。
そうなると、やはり針を持つ気になれないのは、気持ちの問題なんだろう。不安がいっぱいの状況では落ち着いて趣味に興じるなんて私にはできない。いざとなったら、私が助けにならないといけないと思うから、神経質にもなる。
たかが趣味って思えわれるかもしれない。でも、趣味のない人には分からないだろう。趣味に興じている時の楽しさ。平安。流れて行く時間。どれもが何ものにも代えがたい。それなのに、肝心の針が持てない。持つ時間がないわけじゃない。持とうと思えば、時間なんていくらでも捻出できる。それをしないのは、自分にブレーキをかけているからなんだろう。
私が針を持とうが持たなかろうが、状況が変わるわけじゃない。この状況を変化させることが出来るのは主だけだ。もしかしたら、そのことを教えたくて主はこのような試練を与えているのか。
今日は針を持とうとは思う。思うだけで、持たないかもしれない。そこは気力の問題だ。不安に負けてしまえば持たないし、開き直れば持てるだろう。悲しいことに、開き直るというのが1番苦手なのだ。いつも、小さなことであってもうじうじと悩んでしまう。ほんとにどうでもいいようなことであってもだ。
そんな私にとってクロスステッチは、精神を安定させ気持ちを高揚させ、元気にする元なのだ。それなのに針が持てないというのは、相当、重症ではある。必要が満たされたら、新しいキットを買おうと思う。でも、必要が満たされる日が来るんだろうかと不安になる。いけないね、これは主を信頼していないということだ。反省、反省…
クロスステッチは、私を構成する物質といってもいい。そのくらい好きだ。それなのにステッチしていないということは、食事を摂っていないようなものだ。好きが高じて、オリジナルクロスステッチ図案専門店を開いてしまったくらいだ。まあ、誰も商品ページには行ってくれなかったから、売り上げは0で、そのブログも閉鎖ということになったけど、私のクロスステッチ愛は分かってもらえたと思う。
それなのに、針が持てない。持つ気が出ない。始めてしまえば熱心にチクチクできるというのは経験上分かっているけれど、そこまで行く気力がないのだ。特に、今、やっている作品がハーフステッチだらけで、私、ハーフステッチが大嫌いということもあって、敬遠してしまっているところもある。
こんなにハーフステッチだらけだと知っていたら、最初から買わなかった。通販で買ったけど、図案を見ただけじゃ分からないことだらけだ。いざ、始めてみたら、のっけからハーフステッチ。これは、もしかしたら、気力の問題だけじゃないかもしれない。
ハーフステッチ嫌さに、逃げているだけかもしれない。ほんと、ハーフステッチとフレンチナッツは私にとって鬼門だ。
ハーフステッチだと長時間、ステッチができない。途中で嫌気がさしてしまう。クロスステッチなら何でもないのに、不思議なものだ。刺し方は大して変わるものでもないし、人によってはハーフステッチの方が時短になっていいという方もおられる。そこは好みの問題なんだろう。