たとえ、それが事実だとしても、お金がないって言わないで欲しい。実際、私もお小遣いをずっともらってないし、僅かに貯めていた中から、生活費の一部を捻出している。それも、多分、今月で底を尽くし、もう、生きていくのさえ怪しくなる。
福祉に頼りたくても、入金の可能性があるので生活保護は受けられない。それに、私と夫だけが救われても、今まで一生懸命働いてくれていた子供たちは救われない。後は死ぬしかないっていうところまで追い詰められている。子供たちだって、何もしていないわけじゃない。家業の他にバイトして何とか食いつなごうとしている。
家業が給料を支払えなくなったから、バイトしないと生活ができないのだ。もっと早く、倒産させるべきだったのだ。ギリギリまで引き延ばした結果がこれだ。それなのに、私には働きに出るなという家族の気持ちが分からない。
シニアの求人は少ないし、掃除のおばさんになるか派遣で軽作業をするか、マンションの管理人をするか、選択肢は殆どない。ブランクあり。年齢も60代ともなれば、雇ってくれるところなんて本当に少ない。でも、ここで、気を揉んでいるよりも、少しでも家計の足しになればと思うのだ。
お金がないのなら、ないなりの生活をするべきなのに、夫は煙草をやめる気はないし、無駄遣いしているし、何のために私が我慢しているのかまったく理解していない。
金銭的に困った時、私には頼れる人がいない。妹は一銭も出さないだろうということは容易に想像がつく。親友に頼むのは申し訳ない。それに、それで友情が壊れてしまうのも嫌だ。まあ、もっとも、死んだら関係ないか。
夫には不満しかない。子供たちが自立していないのが悪いって言うけれど、家業の社員で給料を支払っていたわけで、自分が縛りつけていたんじゃないのか。それを今になって自立していないっていうのは明らかにおかしい。就職しろって言っていたらならともかく、家業に就職していたわけで、ここで働いていたんじゃん。今だって頼ることが多いのに、ご都合主義にもほどがある。
それに、子供たちが自立していたところで、この困った事態は変わらない。夫の年金だけで生活できるはずもなく、当てにしていた入金も先方の勝手で振り込まれない。でも、振り込まれないとは言い切れないから、福祉は手を貸すことはしない。
まったく堂々巡りだ。自分だけ助かる道を考えるなら、離婚して生活保護なんだが、それはしたくない。夫のことも子供たちのことも見捨てるのは嫌なんだ。夫の浮気とフキハラ、DVに耐えてここまで来たのに、こんなことになるのなら、もっと子供たちが小さいうちに4人連れて出ていった方がマシだった。
人生の晩年がこんな風に終わるなんて、考えたこともなかった。
このブログが、何の前兆もなく更新が止まったら、それは私の死を意味する。死ぬまでは、このブログを閉鎖したとしても、どこかで書き続けるだろう。でも、その更新も止まったら、かずのんはどこかで野垂れ死にしたんだと思った方がいい。
今の時期は熱中症で死ねるだろうし、寒くなったら凍死だ。今、何とかなったとしても来月、再来月と続くわけで、一時しのぎにしかならないのではどうしようもない。
毎日、祈る。必要が満たされますようにって。一緒に祈って欲しい。かずのんの必要が満たされるようにって。
それは、クリスチャンでもクリスチャンじゃなくても構わない。誰の祈りであろうと、主が聞いてくださるって信じている。私1人が祈るよりもパワーがあるだろう。死にたくはないけれど、死を選ばざるを得ないのだ。
昔、夫に寝ている間に殺して欲しいと頼んだことがある。やっぱりお金がなくて、お先真っ暗という状況だった。夫は実行してくれなかったから、今、こうして生きているわけだけど、多分、もう、限界だろう。