生き残るために、頑張ろうとしてくれている娘がいる。そのことを否定し、非難し、怒り狂うだろうと予想される夫がいる。どちらを選ぶかって言われたら、私は娘を選ぶだろう。夫には散々尽くしてきた。報われることなく、フキハラで当たり散らかされても我慢してついてきた。でも、人の好意を無下にするような人とは一緒に暮らせない。
自分が生き残るためだけに離婚するのは躊躇う。でも、そこに子供の存在が絡んできたら別だ。離婚することも辞さない。私は何度も子供たちの存在に助けられてきた。子供たちがいなかったら、今、ここにいたかどうかも確信が持てない。
この年齢になって、今更、離婚とか笑っちゃうけれど、夫のフキハラとか、DVとか、いろんなこと我慢するのが嫌になっているっていうのもある。残り少ない人生、この人の不機嫌に付き合うのは嫌だ。お金がなくても、細々とした生活しかできなかったとしても、夫がいないと気が楽になるだろう。もちろん、娘の件が一件落着するなら、離婚の話は無しだ。でも、暴れるようなら容赦はしない。
どうぞ、自力でなんでもやってください。
まあ、次男坊に言わせると、本当に今更な話だとは思う。もっと早く離婚するという手を打つこともできた。福祉に頼るって知らなかったから、子供たち4人を大学まで行かせるためには、月々70万くらい必要で、それを稼ぐためにはどうしたらいいかって考えて、ネットビジネスの世界に足を踏み入れた。1年後の月70万っていう言葉を信じて。
本当に70万稼げるようになったら、子供たちを連れて離婚するつもりだったのに、実際は1年経っても月1万くらいしか稼げなくて、収入よりも出費が多くて、結局、組織も崩壊してしまってなし崩しに終わってしまった。
当然、離婚もできなくて、夫の横暴な態度に我慢の日々。言いたいことも言えなくなって、夫は無駄にIQが高いから、周りを見下しているんだろうなって態度が目立つようになって、ますます何も言えなくなって、波風立てないようにしようとして今日まで来てしまった。
余命宣告された人を見捨てて離婚するのは、心苦しいと感じないでもないが、感謝できない人と暮らすのは限界だ。すべてを当たり前だと思っている人と、どうして一緒に暮らせようか。でも、もし、離婚てことになったら、次男坊はどうするだろう。残るか、一緒に家を出るか。それは彼の気持ち次第で、一緒に来て欲しいけれど無理強いはできない。
もう、小さな子供じゃないから。
まだ、離婚に至るかどうかまでは分からないし、恐怖が勝って、言いたいことが言えるかどうかも分からない。でも、娘が頑張っていることを無碍にされたら、その時は私も出ていくという気持ちは強い。家族のために頑張ってくれているのを、自分の好き嫌い、或いは偏見で否定するのは良くないし、感謝すべきことを感謝できない人とは暮らせないってちゃんと言えるだろうか。
話のすり替えが上手だから、どこですり替えるか、気をつけないといけない。私は決して賢くはないけれど、彼のディベートが上手いことくらいは分かる。だから、気をつける。そのくらいのことはできる。
夫は私が我慢してきたこととか、まったく気が付いてはいないだろう。私から離婚を切り出すとも思っていないはずだ。もしかしたら、私に裏切られたと感じるかもしれない。存分に味わうがいいと思う。私が何度も感じてきた感情だ。
夫に裏切られる度に感じてきた感情だ。怖いよね。自分のしてきたことは、いつかブーメランになって返ってきちゃうんだ。そのために苦しんできたこともあるけれど、すべて、主に赦されたから。赦されていると感じられることの、何と幸いなことよ。離婚することも赦してくださると信じている。