20代の頃、私は友人を2人亡くしている。1人はオートバイの事故で、1人は病気で。2人とも男で、いい奴だった。
ノーヘルでバイクに乗ってトラックに正面衝突したらしいけど、トラックに喧嘩を売って勝てるわけがない。ほんとに馬鹿。いい彼女もいたのに、何でヘルメットを被らずにバイクに乗っていたかも分からない。
当時、ジューシーフルーツってバンドがあって、私のことをそこのメンバーに似ているって言った。自分は嫌いだけどという注訳付きで。恋愛感情が生まれるような間柄ではなく、ほんとに馬鹿を言い合って笑いあうような間柄で、1度、友達と家に遊びに行ったことがある。
新築って聞いていたから、それらしい家を探したけど見つからなくて、近所の人に訊いたら、ものすごいボロ家に案内された。お父さんが大工かなんかで、自分で廃材などを利用して建てた家らしい。階段も梯子という斬新な作りで、マジで驚いた記憶がある。
そこで馬鹿話して、またねって別れて、それが最後だった。死は、こんなに突然、訪れるんだって思い知ったよ。記憶とは悲しいもので、もう、ぼんやりとしか顔も思い出せないし、名字も忘れた。下の名前は憶えているけど、それがいつもの呼び名だったから。
長患いで亡くなったのは、とてもハンサムな人だった。一緒に歩いていたら、すれ違う女の子たちが振り返るくらいに。一緒にいるこっちが恥ずかしくなっちゃうようないい男で、恋愛感情抜きで何度かデートしたこともある。
まあ、彼にも本命の彼女はいたし、深いお付き合いをするような間柄ではなかったけど、家庭が複雑だったせいか自暴自棄なことをやらかす奴で、無免でバイクを運転するとかしていたらしい。それが、かっこいいと思うような若さで、病気になり、結構、長い間、入院していたけど、結局、退院することはなかった。
心残りなのは、入院中、1度もお見舞いに行かなかったこと。当時、私も付き合っている人がいて、その人とも共通の友人だったんだけれど、お見舞いに行きたいといってもはぐらかされて、結局、1度も顔を見ることなく逝ってしまった。
お付き合いしていた彼は病院の名前も知っていたし、見舞いにも行っていたみたいなんだけど、独占欲の強い人だったから、他の男に会わせるのが嫌だったらしい。別にやましい関係でもないのに、嫉妬深いのも罪だ。
私は病名も病院の名前も知らずに、彼氏とは別れてしまって、私がスキーに行っている間に亡くなったと知らせが来た。元カレに見舞いに連れて行かなかったことを謝られたよ。今更、遅いのにね。
この年齢になると、死は身近なものになる。親が死ぬとか、親戚のおじさん、おばさんが亡くなるとか、当たり前になる。でも、若い人の死は当たり前とは片付けられないんだ。10代20代の頃に死が当たり前だったら逆に怖い。
今でも、2人のことは忘れていない。一緒に、馬鹿やって笑ってふざけて、まさに青春だった。彼らの死が私の青春時代を終わらせたのかもしれない。それを恨んだりもしていないが。
彼らと友達でいられて良かったと思う。知り合えたことに感謝。本当に出会いは必然だったとしか思えないから。クラスメートでもないし、職場が一緒だったわけでもない。普段ならすれ違うだけで終わってしまう相手だったのに、30年以上経った今でも覚えているほど、いい思い出になっている。
きっと、これからも時々、思い出すのだろう。いい奴だったな。天国で何している?って。